「幼少のころからお仕えしておりますが」
「殿の笑顔は、最近ますます人間離れして参りましたな」
概要
高師直とは、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武将、古くからの足利家執事として足利尊氏に側近として仕える。
史実に関しては高師直を参照
尊氏の幼いころから仕える足利家執事、うどん作りがうまいという特技がある。
後醍醐天皇に忠誠を誓う楠木正成を警戒、「足利尊氏暗殺」に失敗した逃若党の逃亡を正成がひそかに助けたことで、正成が「尊氏暗殺」の黒幕ではないかと誤解する。
天下取りの野心を覗かせる尊氏の変貌を敏感に感じ取る。
京の都において鎌倉幕府打倒の恩賞をめぐって各地の武士から所領をめぐる訴えが増加していること、内裏造営のため増税を検討していること、紙幣発行を検討していることに、後醍醐天皇による親政に不満が高まっていることを悟り、尊氏の天下取りに政策をひそかに立案、戦の準備をひそかに進める。
そして、建武2年(1335年)、北条時行を擁して諏訪頼重をはじめとする鎌倉幕府残党が蜂起すると尊氏に従い出陣、尊氏軍は鎌倉幕府残党軍を破り諏訪頼重・時継親子を自刃させる。
その際、師直は猶子(相続権がない養子)にした従兄弟の師冬が不慮の死を遂げると、戦場で遠縁にあたる少年を拾い師冬の替え玉にする。
その直後、新田義貞率いる追討軍を一蹴した尊氏軍は京に攻め上がるも、奥羽を治めていた北畠顕家の軍勢に敗れて九州に落ち延びるが、師直・師泰兄弟は顕家の「19歳」という若さに驚愕する。
忍び集団・天狗衆を配下に置いて諜報活動を行い、要人の暗殺にも手を染めているもよう。
史実では足利尊氏を抜いて北朝方最強の武将であり、北畠顕家、楠木正行を討ち取っており、南朝の本拠地である吉野の攻略など、北条時行にとって尊氏と並ぶ最大の障壁となっている。