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江原啓之の編集履歴

2023-07-20 12:19:01 バージョン

江原啓之

えはらひろゆき

日本の男性作家、オペラ歌手(バリトン)、霊能力者。

略歴

1964年12月22日生まれ。ワタナベエンターテインメント所属。

一般社団法人 日本フィトセラピー協会 顧問。自ら設立した一般財団法人日本スピリチュアリズム協会理事長、世界ヒーリング連盟元会員、関西二期会会員。

和光大学人文学部芸術学科中退、國學院大學別科神道専修II類修了、武蔵野音楽大学パルナソスエミネンス(特修科)修了。


7歳上の姉がいる。

4歳の時に父を、15歳の時に母を亡くし、姉が結婚するまでは姉弟二人で暮らした。

母からは生前「18歳までは守られる」と言われていたが、その言葉通り18歳になった頃から心霊現象に悩まされるようになり、ついには大学を中退。

アルバイトで資金を貯めつつ、複数の霊能力者のもとに通うが解決には至らず、金銭的にも苦悩の日々が続いた。20番目に尋ねた日本心霊科学協会の講師・寺坂多枝子によって、江原自身がもともと優れたスピリチュアルな才能、霊能力を持つこと、数々の心霊現象は能力が高いゆえの霊媒、憑依体質によるものだと教えられ、以降寺坂に師事することとなる。

寺坂の「人格や波長を高く保ち、カルマを積むことで低級霊は寄って来なくなる」というアドバイスに従い、修験道真言宗)の修行を始める。修行の末憑依体質を克服した。


その後、ある人に誘われて職業霊能力者として相談を受けるようになるが、実は詐欺まがいのビジネスの片棒を担がされていると気付き逃亡。寺坂の勧めもあって、正式に神職の資格を得るべく國學院大學の夜間部に入学。大学に通いながら北沢八幡宮に実習生として務め、また仲間たちと心霊相談のサークルを立ち上げてスピリチュアル系の相談を引き受けるようになる。


24歳の時に、心霊相談とヒーリングによるスピリチュアリズムの普及を目的として「スピリチュアリズム研究所」(後に一般財団法人「日本スピリチュアリズム協会」へと発展)を設立。以降個人を対象とした相談を受け付けるようになる。

また、スピリチュアリズムの本場・イギリスでの修行を通じて自身の立場を「スピリチュアル・カウンセラー」と定義し、スピリチュアルな部分はもちろん「カウンセリング」として、人々の悩みに対し霊的世界とコンタクトを取ってそのメッセージを代弁する、という手法(イギリスや欧米諸国で用いられる「シッティング」のこと)を自身のスタイルとして固める。


1990年代はじめに作家・佐藤愛子の相談を受けたことがきっかけでメディアにも顔を出すようになる。

2000年代以降はテレビ番組にもレギュラー出演するようになる。特に、テレビ朝日系列で放送された番組『オーラの泉』での出演が有名である。この番組では「自身は生きている人の『オーラ』(霊的エネルギー)を見ることができる」「その人の真の人間性や前世、守護霊を知ることができる」と語り、美輪明宏とともにさまざまな芸能人にアドバイスを送っている。


長らく個人向けのカウンセリングを中心としていたが、応急処置的なカウンセリングでは限界があると感じ、テレビ出演が増えたあたりで執筆や講演活動にシフトしている。

また、30代になって声楽を学び始め、音楽活動にも力を入れている。


寺坂からの影響もあるが、本人はスピリチュアリズムについてよりアカデミックな思想、学問として体系化され、実際に教育の現場にも反映されることを望んでおり、メディアへの露出を続ける一方で霊能力者本人が過剰に神格化されることには疑問を呈している。


(番組等の過剰演出もあるが)「やらせ」疑惑や、江原自身の調査不足、知識の偏りなどの問題があるとも指摘されており、特にスピリチュアルに肯定的でない層からは批判の声もある。


人物

私生活では歌手のイルカからの紹介で知り合った女性と1993年に結婚し、現在は二児の父である。


「自然派」として半自給自足生活に取り組んでいる。自身の父が薬害で亡くなったということもあって現代医療には少々懐疑的な見解を見せており、新型コロナウイルスワクチンについても否定するような意見を述べている。

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