ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

藤原豊成の編集履歴

2023-08-14 21:43:45 バージョン

藤原豊成

ふじわらのとよなり

藤原豊成とは奈良時代の公卿。

概要

父は藤原武智麻呂、母は阿倍貞媛、官位は従一位、右大臣


経歴

誕生から右大臣就任まで

大宝4年(704年)に誕生、内舎人・兵部大丞となり神亀元年(724年)に従五位下、後に従五位上・兵部少輔となり天平9年(737年)に父武智麻呂の死去後に従四位下、参議となる。後に聖武天皇の行幸中に留守司を任じ天平15年(743年)に従三位、中納言となる。天平感宝元年(749年)に右大臣となる。


弟仲麻呂との関係

右大臣に就任した同年に弟仲麻呂光明皇太后から紫微令に任じ共に勢力を上げていった。天平寛宝9年(757年)に橘奈良麻呂の乱が起き仲麻呂から疑われ大宰府に左遷されたが難波の別荘に留まった。天平宝字8年(764年)に仲麻呂が反乱を起こし敗北し殺されたが事件後に京に戻り右大臣となり天平神護元年(765年)に死去。


外部リンク

藤原豊成 - Wikipedia


関連タグ

奈良時代 藤原南家 公卿 右大臣

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました