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水無瀬信成の編集履歴

2023-08-17 16:09:49 バージョン

水無瀬信成

みなせのぶしげ

水無瀬信成とは鎌倉時代の公卿。

概要

藤原親兼の子、母は宜秋門院女房備前、官位は正三位、参議


プロフィール

時代鎌倉時代
生誕 建久8年(1197年)
死没 弘長2年(1262年)
官位 正三位、参議
主君順徳天皇仲恭天皇後堀河天皇四条天皇
氏族水無瀬家
父母父:藤原親兼、母:宜秋門院女房備前
兄弟信成、親忠、坊門親仲、信弘、顕親、全親、久我通光
吉田定経の娘
親成、信氏、任快、親源、信弁

経歴

建保2年(1214年)に従五位上、後に左少将・左中将に進み、建保6年(1218年)に参議となる。しかし承久3年(1221年)の承久の乱後に参議を停止された。後の延応元年(1239年)に出家した。


外部リンク

水無瀬信成 - Wikipedia


関連タグ

公家 鎌倉時代 水無瀬家

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