概要
長屋王の子、母は藤原長娥子(藤原不比等の娘)、官位は従四位上、散位頭。
経歴
天平元年(729年)の長屋王の変では母が不比等の娘のため罪は逃れ天平9年(737年)に従五位下となる。天平11年(739年)に従四位下となり翌年に従四位上となる。後に散位頭、天平17年(745年)に聖武天皇の病気の際に橘奈良麻呂は王の即位を試みたという。天平宝字元年(757年)に奈良麻呂の謀反計画に参加、事態が発覚し奈良麻呂と共に捕らえられ久奈多夫礼(くなたぶれ)という名前に改名され拷問を受け獄死した。
ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
2023-09-08 21:48:13 バージョン
きぶみおう
0/3000
編集可能な部分に問題がある場合について
記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。
報告を送信しました
ピクシブ百科事典では今後の開発の参考にするため、フィードバックを募集しています。あなたが使っていて感じたこと、見つけた問題をお寄せください。
いただいたフィードバックへの返信は行っていません。ご利用の際にお困りの場合は、ヘルプセンターをご覧ください。
個人情報は含めないようにしてください。
送信しました
またお気付きの点がありましたら、お気軽にフィードバックをお寄せください。