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広橋国光の編集履歴

2023-12-11 21:59:11 バージョン

広橋国光

ひろはしくにみつ

広橋国光とは戦国時代の公卿。

概要

父は広橋兼秀、母は勧修寺政顕の娘、官位は正二位、権大納言


プロフィール

時代戦国時代
生誕大永6年5月19日(1526年6月28日
死没永禄11年11月12日(1568年11月30日
官位正二位、権大納言、贈内大臣
主君後奈良天皇正親町天皇
氏族広橋家
父母父:広橋兼秀、母:勧修寺政顕の娘
兄弟国光庭田重保室、保子、国子
高倉永家の娘、烏丸光康の娘
兼勝輝資、日禎

経歴

大永8年(1528年)に従五位下となり侍従、弁官、蔵人、蔵人頭を経て天文18年(1548年)に従三位、左大弁、権中納言、天文22年(1553年)に権大納言に就任。死後内大臣が贈られた。


外部リンク

広橋国光 - Wikipedia


関連タグ

公家 戦国時代 広橋家

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