概要
日本では輸血用の保存血液や、乾燥血漿、血清等の原料を賄うため、1950年頃から血液銀行が各地に創設された。
供血を善意のボランティアに頼った日本赤十字社に対し、各血液銀行では現金での謝礼を支払った(売買血)。
血液の「価格」は1950年当時、200mlで500円だったという。これは2023年現在でざっと5000円以上の価値があり、このため赤十字社の血液銀行は閑古鳥が鳴き、日銭が欲しい人々は民間の血液銀行に列をなした。
この売血を繰り返す層は当然ながら貧しく、覚せい剤の回し打ちも蔓延していたため、買い取られた血液には肝炎などの感染症ウィルスが混入していることも少なくなかった。そのため、手術を受ける側は高額を支払って血液銀行から輸血を購入しながら、同時に感染を覚悟しなければならなかったのである。
売血から献血へ
しかしこの状況を見かねた大学生たちにより、1962年頃から献血運動が開始される。彼らは音楽活動などを通して資金を集め、運動を各地へ展開、街頭で呼びかけるなどして献血促進に貢献した。
そんな中、1964年に親日派として国内でも人気が高かった米外交官、ライシャワーが暴漢に刺され、輸血を受けたことが原因で肝炎に感染するという事件が発生、これを重く見た日本政府は全面的な献血への切り替えを決定。売買血に厳しい規制をかけ、血液銀行に業態の転換を命じた。
こうして売血による保存血液の製造は1969年に終了するが、その間も規制をかいくぐり、血液銀行の預血制度を悪用した事実上の売買血が存在していた。また、一部民間会社では血液製剤の原料として有償での供血制度が続けられていたが、これも1990年に中止され、日本での売買血は消滅した。