ピッツバーグ・パイレーツ、サンフランシスコ・ジャイアンツに在籍。
2001年にシーズン73本塁打のシーズン記録を樹立。キャリアハイの年には脅威のOPS1.422を叩き出している。
大学時代から不遜な態度を取ってチームメイトやメディアから嫌われていた一方、取材する側が日本人の場合はメディアに対しても気さくに応じることもあった。
また2002年のシーズンのみであったが新庄剛志がチームメイトで、積極的にコミュニケーションをとったり、守備ではセンターの新庄がカバーしたこともあり、その年はボンズが首位打者に輝いている。
2007年のオールスターでは斎藤隆とロッカーが隣で、斎藤にバットを一本プレゼントしたり、岡島秀樹とのツーショットも撮られた。
豪快なホームランバッターのイメージがあるが、若い頃は好守に俊足も兼ねた選手で、1シーズンに50盗塁をした事もある。1998年に400本塁打400盗塁という大記録を達成したにもかかわらず、世間はマーク・マグワイヤとサミー・ソーサのホームラン記録の方に夢中で話題が霞んでしまいだいぶ悔しい思いをしたようで、肉体改造を行った。この肉体改造は関係者の様々な証言もあり、禁止薬物によるものとされている。
実力や成績は全く申し分ないものの、ドーピング疑惑や前述の不遜な態度など素行や人間性に問題点があり、殿堂入りするために必要な75%以上の得票率を得られなかったため、アメリカ野球殿堂入りをついに果たすこともなく終わってしまった。