データ
性別 | 牡 |
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生没年 | 1977-2006(享年29) |
血統 | 父:Northern Dancer/母:Pas de Nom(by Admiral's Voyage) |
毛色 | 鹿毛 |
オーナー | ヘンリク・デ・クフャトコフスキ |
調教師 | ウッドフォード・セフィス・スティーヴンス |
概要
生い立ち
アメリカ・ペンシルベニア州のデリーミーティングファームにて誕生。
母のパドノムは牧場のオーナーが購入した馬で、現役時代は5歳まで走って9勝を挙げている。引退後は繁殖入りし、初年度からずっとノーザンダンサーをつけており、ダンジグは2番目に産まれた仔馬だった。
ダンジグは1978年のサラトガイヤリングセール(1歳馬の競り)にて調教師のスティーヴンス師とポーランドの航空宇宙技師のクヒャトコフスキ氏が共同購入し落札。
落札額は31万ドル(当時レート換算でおよそ600万円)とかなり安い値段だった。ダンジグは小さめの馬体をしており、その体高は155センチほどしか無く、ノーザンダンサー産駒はニジンスキーなど大柄でガッチリとした馬体の馬が活躍を残していた。そのため小柄なダンジグはあまりいい評価はされていなかったのである。
競走馬時代
その後はスティーヴンス師の厩舎に入り、競走馬としてデビューを果たし、新馬戦に挑み8馬身半差の圧勝で強烈なデビューを飾った。
…しかし、ダンジグは体質が脆かった。
実はデビュー前に剥離骨折を起こしており、これが競走能力の妨げになると危惧されていた。そのため、デビュー戦を終えたのちにスティーヴンスしはダンジグに手術を受けさせ、手術後は負担の少ないプール調教を中心に行うなど、じっくりと丁寧に育てられていた。
長い療養ののちに3歳春に復帰し、復帰戦を7馬身差で圧勝。その2週間後のレースでも5と3/4馬身差をつけてまたもや圧勝した。
…だが、ダンジグの脚はもう限界だった。
3戦目を終えた後に剥離骨折を再発し、レントゲン写真では亀裂がより大きくなっており、下手を打てば致命傷になりかねないものになっていた。
これを見た獣医は「これ以上走らせたらこの馬の命はない」と警告。陣営は引退を決断した。
種牡馬入り後
競走馬としては大成しなかったダンジグだが、種牡馬入りすると当初こそ期待されていなかったものの、初年度産駒から続々と活躍馬を輩出。数年後には北米におけるノーザンダンサー系の中心を担う存在となっていた。
彼らも次々に種牡馬入りして枝葉を広げ、今日ではダンジグ系と称される大父系を構築している。
その後は2004年まで種牡馬を続け、2006年に老衰でこの世を去った。享年29。大往生であった。
主な産駒
など