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島本浩也の編集履歴2024/03/23 21:22:11 版
編集者:Mirin
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概要

1993年2月14日生まれ、奈良県大和高田市出身。

ポジションは投手。左投左打。

大和高田市立高田小学校1年時に「高田ヤマトイーグルス」で野球を始めると、

中学時代は「橿原コンドルボーイズ」に所属。

福知山成美高校への進学後、2年春にベンチ入りし、投手として同年秋の京都大会準優勝に貢献。その後の近畿大会ではPL学園高校戦で10奪三振1失点完投勝利を収めるなどの活躍でチームをベスト8進出に導いた。その一方で3年時に他部員の不祥事によりチームが対外試合禁止処分を受けており、その影響もあって甲子園大会には縁がなかった。1学年後輩に桑原将志がいる。

2010年10月28日に行われたドラフト会議では、阪神タイガースから育成2位指名を受け、支度金200万円、年俸300万円(金額は推定)で、育成選手として入団した。背番号は126。

2023年は、対左のワンポイントやピンチでの火消しとしての起用が増加。8月4日の対横浜戦(横浜)では2死満塁の場面を三振で、6日の同カードでも1死二、三塁を遊飛と三振で切り抜け、監督の岡田彰布に「島本様様。彼がいなければどちらの試合も負けていた」と評価されるほどに信頼を高めていった。

広島とのクライマックスシリーズ(甲子園)では全試合に登板し無失点。10月20日の第3戦では2点リードの8回に2死一、二塁の場面で登板し、代打の松山竜平を1球で右飛に仕留めた。オリックス・バファローズとの日本シリーズでは4試合に登板。日本一の決まる第7戦では、5回6点リードも2死一、二塁というピンチを招いた先発の青柳晃洋を救援する形で登板し、宗佑磨を左飛に封じてチームの日本一に貢献した。12月3日に契約交渉に臨み、前年から倍増超となる4800万円で更改した。

選手としての特徴

オーバースローから繰り出す最速148km/hのストレートを軸に、スライダーやフォークを織り交ぜる。2014年の秋季キャンプでは、現役時代に自身と同じ左腕投手だった大野豊臨時投手コーチから、シュートを伝授された。

プロ野球選手としては細身ながら「投げっぷり」の良さに対する評価が高く、制球力にも優れる。

投手としては足が速いことから、代走として出場したこともある。

人物

愛称は「シマ」、「シマちゃん」、「しまんちゅ(西田直斗が命名)」。

橿原コンドル時代にバッテリーを組んでいた捕手は、柳ヶ浦高等学校進学後の2009年に野球部のバス横転事故で急逝。島本は、虎風荘(阪神の合宿所)への入寮の際に、その捕手がユニフォーム姿で映った写真を自室に持ち込んだ。

自身と同じ奈良県の生まれで、現役時代に高卒の左腕投手として阪神などで活躍した江夏豊から高く評価されており、2015年の春季キャンプでは臨時コーチを務めた江夏から直々に指導を受けた他、キャンプ終了後には「江夏賞」を授与された。副賞としてプレゼントされたオーダーメイドグラブは、試合で使うことを想定してのものであったが、江夏への強い敬意から使わずに大切に保管しているという。

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