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ティベリウス・カエサル・アウグストスの編集履歴

2012-09-10 11:20:11 バージョン

ティベリウス・カエサル・アウグストス

てぃべりうす

第2代ローマ元首アウグストス家2代当主(在位:紀元14年 - 37年)。デゥイ・アウグスティ・フィリウス

TIBERIVS JVLIVS CAESAR AVGVSTVS

(DIVI AVGSTVT FILVS)

恐怖襲来

うわ・・タイラントだ・・・ティベリウスを見た命知らずのローマ市民の反応・・。


  • ティベリウス・ユリウス・カエサル、(デゥイ・アウグスティ・フィリウス)
  • 古典ラテン語:Tiberius Julius Caesar
  • 世没:紀元前42年11月16日 - 紀元後37年3月16日)
  • ローマ帝国の第2代ローマ元首(在位:紀元14年 - 37年)
  • 即位時: Tiberius Julius Caesar Augustus
  • 皇帝名:Imperator Caesar Divi filius Augustus

初代元首アウグストゥスの養子。

養子となる以前の名前は実父と同じティベリウス・クラウディウス・ネロ。

なおイエス・キリストが刑死したときのローマ皇帝である。

キリストの言葉の一つに「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに」があるが、この時の「カエサル」とはティベリウスのことである。


『絶対に元首になりたくない』


ティベリウスはローマの名家クラウディウス家出身でカエサル家の親戚であった、ローマ元首になる前のオクタビヤヌスの家よりも家柄が高かったが、オクタビがローマ皇帝となると立場が逆転してしまった経緯を持つ。


彼自身は将軍としてオクタビに仕え、ローマ帝国軍の死線をいくたびも乗り越えてきた猛者であった。しかし性格はかなり内向的であり、人付き合いを好まなかったとされる。アウグストスは彼を優秀だとは思っていたが、あまり個人的に付き合いたい性格の人間ではなかったようだ。


【後継者選び】

元首アウグストスは後継者を選ぶことが非常に困難であった

最有力後継者であるアウグストスの息子ガイウス・カエサルが病死し、次に親戚クラウディウス家のティベリウス元首の弟ドルールスに絞ったが、かれも戦場で負傷をほっといたせいで死んでしまった。アウグストスの最強の腹心アグリッパ将軍も、アウグストスが病弱の癖に長生きしてしまったせいで老衰した。 ほか数名にも絞ろうとしたが納得ができる逸材ではなかった。


『後継者』がいないアウグストスが『かなり妥協』してティベリウスにたのんだ。


結局ティベリウスはかなりいやいやに妥協をし50代で元老院からローマ元首に就任、神皇アウグストスの息子(デゥイ・アウグスティ・フィリウス)として即位した


【人気のない治世】

文化政策をほとんど行わない度が過ぎたケチぶりで有名、健全財政だったが人々の生活に娯楽がない時代だったようでローマ市民の支持はまったくと言っていいほど得られなかった。人々を楽しませることを全く考えない元首だったので当然と言えば当然だが、この時代にその態度は命取りであった。


そしてなぜかセナートスとの関係も最悪であった、彼自身先代のアウグストスのよう元首が適材適所を元老議員などに与え統治したいと願ったが。元老議員をうまく使いこなせなかった・・。


結局、彼自身に元老議員にまったく言っていいほど人望がなかった・・。そのせいで彼はいつも『恐い顔』をしていて、猫背になり。なにか不気味な雰囲気が付きまとった


現在の政治家だったら全く問題ないだろうが、当時では『まじめ過ぎて恐い』と言われ続けてついに『tyrant』の語源になってしまった気の毒な元首であるティベリウスは生きるのがつらかったろう。彼自身『絶対に元首になりたくない』という記述があった。


ただ晩年の『稚児狂い』は真実かもしれない。このときの稚児狂いの犠牲者に後のカリグラ少年がいた、という。


ティベリウスは死後の神格化をかたくなに拒んだ唯一のローマ元首でもある

ローマ人は政治ができるだけでは満足しないのだった・・・・


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