概要
古代ローマ人には長男に自身と同じ個人名を付ける習慣が存在し、またカエサル家はユリウス・クラウディウス朝において皇帝一家としてその構成員の名がよく記録されている。こうした理由から「ガイウス・カエサル」と呼ばれる人物は歴史上複数が知られている。
日本語圏においては単に「ガイウス・カエサル」と表記された場合、通常はこの複数のガイウス・カエサルのうちアウグストゥスの夭折した後継者候補であった人物を指す場合がほとんどである。英語圏の場合は第3代ローマ皇帝カリグラを指す場合もある。
このガイウス・カエサルは、アウグストゥスの右腕的側近であったアグリッパとアウグストゥスの一人娘ユリアの長男で、多くの場合同様の人生を歩んだ弟のルキウス・カエサルとともに語られる。
ルキウス以外の妹弟に小ユリア、カリグラの母となる大アグリッピナ、末弟のアグリッパ・ポストゥムスがいる。
結婚で男子を得られなかったアウグストゥスは自らの政治的後継者として当初は甥(姉の子)マルケッルスを考え、娘ユリアと結婚させていた。しかしマルケッルスが若くして亡くなった為、次に自身の側近アグリッパにユリアを嫁がせた。この結婚でアウグストゥスが得た孫がガイウスらの兄妹であった。
アウグストゥスは長男ガイウスと二男ルキウスを養子とすると、後継者にふさわしい様々な栄誉と経歴を二人に与えた。ガイウス・カエサルは紀元1年にはコンスルにも就任している。
しかし紀元2年に弟ルキウスが若死し、さらにはガイウスまでもが紀元4年に24歳の若さでこの世を去った。
そのほかの「ガイウス・カエサル」
この他、「ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス」が本名である初代ローマ皇帝アウグストゥスも「ガイウス・カエサル」の1人である。最初に挙げたガイウス・カエサルからは養父であり母方の祖父にあたる。
アウグストゥスの養父である独裁官ガイウス・ユリウス・カエサルもやはり「ガイウス・カエサル」の1人である。最初に挙げたガイウス・カエサルからすると養祖父(養父の養父)であり母方の親族(母方の祖父の母のおじ)にあたる。
前述の通り第3代ローマ皇帝ガイウス・ユリウス・カエサル・ゲルマニクス(カリグラ)もガイウス・カエサルであり、最初に挙げたガイウス・カエサルからは甥(妹の息子)にあたる。
さらに独裁官カエサルの父、さらにその父(独裁官カエサルの祖父)の名もまたガイウスであり、これ以外にも一族に「ガイウス・カエサル」と呼びうる人物は存在する。