古代ローマの共和政期に存在した公職。
ラテン語ではディクタトル(Dictator)と表記し、英語等における独裁者(Dictator)の由来でもある。
大規模な戦争や極端な社会的混乱への対処・収拾のために設置される非常設の公職で、通常時の最高位の公職である2名のコンスル(執政官、統領)すら下に置き、コンスルや元老院の決定を覆すことも可能な護民官の拒否権をも撥ねつける、古代ローマ最上位の公職である。
コンスルの任期が原則年頭より1年なのに対し、独裁官のそれは就任より半年間と短い。また伝説上の挿話(ローマ人は歴史と信じていた)より、任命された緊急事態が解決されれば任期を残して自ら辞すべきものともみなされていた。
非常事態が起こった際、元老院(セナトゥス)の諮問の下コンスルによって指名される。あらゆる分野に対する絶対的な権限を有するが上述のようにその任期は短い。
また自らの副官として騎兵長官(マギステル・エクィトゥム)を任命する権限を持つ。
独裁官は大規模な社会混乱収束のために任命されたこともあったが基本的には国家存亡のかかる大戦争に際して設置され、特に共和政の初期に多く見られる。
こうした戦争において独裁官はローマ軍の主力である重装歩兵を指揮し、騎兵長官は軍団の騎兵部隊の指揮を執り敵と戦った。
独裁官はローマの政治体制や国力が不安定であった共和政初期にはしばしば見られたが、時代が下るにしたがってローマの安定と反比例するかのようにその必要性は低下していった。
状況が一変するのはコルネリウス・スッラが終身の独裁官に就任してからで、スッラは国家の難局打破の一時的措置としてではなく自派がローマを支配するために手段としてこの公職を利用した。ローマ史においてはこのスッラ以降の独裁官をそれ以前のものとは別物として扱うのが通例である。
共和政末期、もっとも有名な独裁官ガイウス・ユリウス・カエサルが誕生する。カエサルもまた終身の独裁官としてローマを自身の支配下に置いた。しかし一人支配を嫌ったブルートゥスら共和派によりカエサルは暗殺される。
その後、独裁官は時代の空気を受けたカエサルの腹心マルクス・アントニウスによって廃止が提案され、ローマの公職としては消滅した。
共和政自体もアントニウス、カエサルの騎兵長官アエミリウス・レピドゥス、カエサルの養子オクタウィアヌスの第二次三頭政治を経て、アウグストゥス(オクタウィアヌス)による帝政の開始をもって終焉を迎える。
独裁官はローマ皇帝を構成する権限の一つとして復活させての就任の提案もされたが、アウグストゥスはこれを断りその後の歴史においても蘇ることはなかった。