1988年12月19日生まれ、滋賀県出身。兄は同じくJRA騎手の藤岡佑介。父は調教師の藤岡健一。
2007年デビュー。同期には浜中俊など。
同年、宮徹厩舎の所属となり、3月3日に中京競馬場で行われた3歳未勝利戦で初騎乗を果たす。このレースで、父の管理馬で1番人気に推されたヤマニンプロローグに騎乗し、2着に1/2馬身差をつけ勝利、JRA史上42人目となる初騎乗・初勝利を達成した。
2009年にジョーカプチーノでファルコンステークスを勝利し重賞初制覇、更にその後NHKマイルカップを勝利し兄より一足先にGⅠ初制覇を飾る。
2010年、2月7日の中京競馬第9競走でJRA通算100勝を達成。3月26日、肺気腫(後の報道では自然気胸)と診断され、この週の騎乗予定をすべて取り止めて以後休養に入り、3月31日に手術。4月10日にいったん復帰したが、4月21日に再手術のため4月11日以降ふたたび休養に入り、再手術終了後の5月25日から調教に参加し、6月5日に復帰した。しかし2011年9月18日に自然気胸が再発したため騎乗を取り止め、10月23日から11月29日まで治療のため静養していた。
2014年に府中牝馬ステークスをディアデラマドレで優勝して、初のGⅡ制覇。
2022年に佐賀記念をケイアイパープルで制し、人馬ともに地方交流重賞初制覇。
2023年に京都競馬第2競走で落馬負傷したライアン・ムーアからの代打騎乗となったナミュールでマイルチャンピオンシップを勝利し、14年ぶり2度目のGⅠ勝利をあげた。
2024年4月6日、阪神競馬第7競走でスウィートスカーに騎乗していたが、第3コーナーで前の馬に接触してつまずき、落馬。病院に搬送となり、JRAからは「頭部・胸部の負傷」と発表され、翌7日にエドヴプレに騎乗予定であった桜花賞を含む以降の騎乗が騎手変更となった。なお、この競走についてJRAより「3コーナーでの御法(前の馬に接触した)」について、過怠金10万円が科せられている(4頭が被害馬)。事故から4日後の10日、兄・佑介が取材に応じ、未だ重篤な状況である事を公表した。10日午後7時49分に死去。35歳没。
JRAで発生した落馬死亡事故は2004年の竹本貴志以来、GⅠ勝利経験のある騎手および平地に限れば1993年の岡潤一郎以来の事であった。