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藤岡康太の編集履歴

2024-12-03 01:19:18 バージョン

藤岡康太

ふじおかこうた

JRA所属の騎手。落馬事故により35歳の若さで死去(1988-2024)。

経歴

1988年12月19日生まれ、滋賀県出身。兄は同じくJRA騎手の藤岡佑介。父は調教師の藤岡健一


2007年デビュー。同期には浜中俊丸田恭介など。

同年、宮徹厩舎の所属となり、3月3日に中京競馬場で行われた3歳未勝利戦で初騎乗を果たす。このレースで、父の管理馬で1番人気に推されたヤマニンプロローグに騎乗し、2着に1/2馬身差をつけ勝利、JRA史上42人目となる初騎乗・初勝利を達成した。


2009年にジョーカプチーノファルコンステークスを勝利し重賞初制覇、更にその後NHKマイルカップを勝利し兄より一足先にGⅠ初制覇を飾る。


2010年、2月7日の中京競馬第9競走でJRA通算100勝を達成。3月26日、肺気腫(後の報道では自然気胸)と診断され、この週の騎乗予定をすべて取り止めて以後休養に入り、3月31日に手術。4月10日にいったん復帰したが、4月21日に再手術のため4月11日以降ふたたび休養に入り、再手術終了後の5月25日から調教に参加し、6月5日に復帰した。しかし2011年9月18日に自然気胸が再発したため騎乗を取り止め、10月23日から11月29日まで治療のため静養していた。なお肺気腫について本人は2011年のファンと騎手の集いにて栗東の独身寮の部屋が異常に汚なすぎたことが原因で発症したと語っている。


2014年に府中牝馬ステークスディアデラマドレで優勝して、初のGⅡ制覇。


2022年に佐賀記念ケイアイパープルで制し、人馬ともに地方交流重賞初制覇。


2023年に京都競馬第2競走で落馬負傷したライアン・ムーアからの代打騎乗となったナミュールマイルチャンピオンシップを勝利し、14年ぶり2度目のGⅠ勝利をあげた。「調教にすら乗っていない完全初騎乗」「にもかかわらず当日昼に急遽の代打指名」、加えて「紅一点の大外枠」というおまけもついてるにもかかわらずきっちり優勝したことから、netkeibaの新春特別企画「福永祐一調教師が選ぶ2023年の神騎乗3選」でも「勝ちにいくための選択は殆ど選ばず最後の直線での末脚一本を信じた」として選出されていた(ちなみに、後の2選はルメール騎手のものだった)。

しかしながら、下記の理由からこれが最後のGⅠおよび重賞勝利となった。


2024年4月6日、阪神競馬第7競走でスウィートスカーに騎乗していたが、第3コーナーで前の馬に接触してつまずき、落馬。病院に搬送となり、JRAからは「頭部・胸部の負傷」と発表され、翌7日にエドヴプレに騎乗予定であった桜花賞を含む以降の騎乗が騎手変更となった。なお、この競走についてJRAより「3コーナーでの御法(前の馬に接触した)」について、過怠金10万円が科せられている(4頭が被害馬)。当初、危険な落馬ではあったが、続報がなくても北村友一騎手のように重傷ながらも生還すると思われていた。だが、同じ週(4月7日)に落馬した和田竜二騎手のコメントから、容態が深刻な状況である可能性も浮上する。そして、4日後の10日、兄・佑介が取材に応じ、未だ重篤な状況である事を公表した。この時は重篤と言葉を濁していたが、後に佑介がこの時の状況を少し明らかにし、搬送の時点で意識がなく「正直、いつ息を引き取ってもおかしくない状況」だったという。


その後意識が戻ることなく、10日午後7時49分に死去。35歳没。事故の一ヶ月前の3月にJRA通算800勝を達成したばかりであった。


JRAで発生した落馬死亡事故は2004年の竹本貴志騎手以来、GⅠ勝利経験のある騎手および平地に限れば1993年の岡潤一郎騎手以来の事であった。

同年3月には高知競馬にて同所属の塚本雄大騎手が同じく落馬事故により死去しており、中央競馬でも直近で落馬事故が多発していた最中の殉職事故であった。


エピソード

  • ももいろクローバーZの大ファンであり、推しメンバーはあーりんこと佐々木彩夏。藤岡の訃報に際し、ももいろクローバーZ公式ホームページで佐々木による追悼メッセージが掲載された。藤岡康太騎手へ
  • 私生活では2020年に結婚、2023年には第一子となる長男が誕生していた。
  • 2009年のNHKマイルカップ前の最終追い切りに遅刻してしまい、雨の降る中でスタッフを待たせてしまい、中竹和也調教師から冗談半分で「レースで結果を出したら、みんな許してくれるよ」と言われ、その結果が自身にとっても中竹師にとっても初めてのGⅠ勝利となった。
  • 普段から友道康夫厩舎の管理馬に調教を付けていることが多く、神戸新聞杯でのワグネリアンへの騎乗依頼もこの縁によるものである。その他の友道厩舎の馬では、マカヒキが8歳時(2021年)の主戦を務め、この年の京都大賞典(GⅡ)ではマカヒキにとって5年28日ぶりの勝利をもたらしている(実は先述のナミュールでの優勝以前の重賞制覇もこの時のマカヒキでの優勝以来であった)。また、4歳秋の時に武豊が天皇賞(秋)当日の検量室でのアクシデントでそのレースとジャパンカップを負傷欠場を強いられた際、ジャパンカップでの鞍上として藤岡騎手の名が挙がっていた。誤解しないでほしいが、天皇賞(秋)で代打を務めた戸崎圭太騎手に対する不満ではなく、ドウデュースの調教役として主戦の武豊にも信頼され、友道厩舎のことをよく知っている藤岡騎手に任せるのも手ではという声である(加えて、ジャパンカップの前週、マイルCSにて先述のナミュールで代打ホームランを決めたという、この時点で一番熱い実績を持ってたのもおそらく理由にはあったと思われる)。これ以外にも、ジャスティンミラノの調教にも複数回参加しており、結果的に友道厩舎で最後の調教になったのがジャスティンミラノの皐月賞1週前追い切りであり、ジャスティンミラノは2024年の皐月賞を勝利した。

関連項目

JRA 騎手

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