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重戦車の編集履歴2012/09/18 17:47:50 版
編集者:Акки@
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重戦車

じゅうせんしゃ

戦車のうち、大きな車体、重装甲、大型砲搭載など様々な条件により同時期の自軍戦車の中で相対的に重量の大きい戦車を指す。

概要

第二次世界大戦前から戦後までである。大戦中は大砲の威力と装甲強化のシーソーゲームが激しく、開戦時には40t程度もあれば立派な重戦車といえたが、1944年には70t近くの重戦車が実戦で使用され、188tの超重戦車まで試作されるに至った。

重戦車の発祥

戦間期において戦車の機動力は飛躍的に向上し、回転砲塔の登場で攻撃にも柔軟性が増した。第一次世界大戦時のものとはまったく別の物に進化した戦車だが、向上した性能をどのように組み合わせたものが優れた戦車なのかについては、各国とも模索の途上にあった。

戦間期の主要国は、いくつか異なる型を並行して開発していた。

ソ連とフランスは、そのうち大型で強力なものを、『重戦車』と位置づけた。第二次世界大戦後の教訓では、大型で強力な戦車とは、厚い装甲と強力な砲の組み合わせを意味する。戦車戦を生き延び、敵戦車を撃破する能力である。しかし戦間期、特に1920年代には、敵戦車の脅威が総じて低く見積もられ、移動トーチカとして歩兵を掃討する役割が求められた。

このころの重戦車の主流は、低速と重装甲を組み合わせたものであった。攻撃力、特に装甲貫徹力は、戦中の戦車と比べると軽視された。模索された重戦車の中では、装甲を薄くするかわりに複数の砲を持つ多砲塔戦車が試されたこともあった。

フランスとソ連は、低速・重装甲の重戦車を保有した。

イギリスは歩兵戦車の名で同様の戦車を作った。イタリアはその地形から軽快な戦車を好み、重戦車を開発しなかった。ヴェルサイユ条約で戦車保有を禁じられたドイツは、ヒトラー政権下で戦車の生産と配備を急いだが、重戦車には手が回らなかった。

重戦車の発展と衰退

大戦前期

フランスとソ連は、いずれもドイツ軍の電撃戦で国土を席巻された。

その防衛戦で戦間期型の重戦車は攻撃力不足の欠点を曝け出し、搭載砲の射程距離が短かった大戦初期には機動力の差も決定的であった。個々ばらばらに戦場に登場した重戦車は、軽快なドイツ戦車に超接近戦にもちこまれた。また、北アフリカ戦線の開けた砂漠ではイギリスのマチルダ歩兵戦車は対戦車砲に有効な榴弾砲を持たないために、自車の射程範囲外からドイツの88mm高射砲に撃破された。

しかし1941年の独ソ戦初期には重戦車が威力を発揮した。

ソ連のKV-1重戦車は、厚い装甲でドイツ軍の戦車と対戦車砲の攻撃を弾き、怪物と呼ばれた。もっとも、低速で故障が多かったため、激しく動く戦線から取り残されて個別に撃破されたり放棄されたりすることが多かった。この戦車とT-34中戦車は1941年当時ごく少数しかなかったが、ドイツ軍の標準的な対戦車用の装備では歯が立たず、ドイツ軍の進撃を鈍らせる働きをした。それに比べると、軽装甲のソ連戦車は数が多少あっても簡単に撃破された。

大戦後期

この経験から独ソはバランスのとれた戦車の量産と並行して少数の重戦車の生産した。

大戦中期に登場したドイツ軍のVI号戦車(ティーガーI)は、ドイツ装甲部隊の攻防の正面に立って活躍した。対抗したソ連軍はIS-2重戦車を投入した。ついでドイツ軍が VI号B型戦車(ティーガーII)を投入し、ソ連軍がIS-3重戦車を開発したところで戦争は終わった。

また、ドイツではマウスやE-100などの超重戦車も計画・開発されていたが、重量や信頼性の点でおよそ実戦運用に耐えられる様な代物では無かった。

東部戦線で戦車が巨大進化を遂げる一方で、西部戦線では航空機が戦場を支配した。ドイツ重戦車が目覚しい戦果を挙げた場面もあったが、いかなる戦車も航空攻撃には無力であった。アメリカとイギリスの陸軍は、ドイツ戦車に対抗できる戦車の開発に取り組んだが、倒すべきドイツ軍戦車の大半は東部戦線に回されていたので、戦う機会などなかった。

戦後

二次世界大戦後、ベルリンで行われた戦勝パレードにおいてベールを脱いだソ連のIS-3に対抗する形で米英はそれぞれM103とコンカラーの開発を進めたが、そのペースは戦時中と比べると遅くなった。

本国での使用が考えられない重戦車は攻撃力と比べて輸送に関する制約が大きく、大規模な運用は困難であり有効な戦力とは考えにくかった。さらに最大の利点であった重装甲が火砲と対戦車ミサイルの急速な発展により優位を失いった。

さらに、口径120mmの主砲による攻撃力もL7 105mm戦車砲の登場とそれらを装備したセンチュリオン戦車やM60パットンの登場によって存在意義を失い、中戦車の進化と合流する形で重戦車という種別は姿を消し、現代まで続く主力戦車が生まれた。

ソ連軍は戦後しばらくIS-3及びT-10と、T-54/55やT-62などの中戦車を並行して開発、配備したが、対西側諸国の技術的優位を失う中で、1970年代にT-64やT-72などの主力戦車に一本化した。中戦車をベースに発達した主力戦車だったが、現在の戦後第3.5世代戦車は120mm口径以上の大型砲と、敵戦車の同級の火砲や対戦車ミサイルに耐えうる重装甲を備えた、むしろかつての重戦車に近い形態となっており、重量も55~70tに達している。

エンジンの高出力化などによって十分な機動性は確保されても、路面状況や架橋、輸送などの問題からほとんど運用上の限界に達しており、新戦車開発の停滞の大きな要因となっている。

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