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レオパルト2の編集履歴

2012-10-12 16:07:23 バージョン

レオパルト2

れおぱるとつばい

ドイツの戦車

誕生までの過程

1980年代の西ドイツ軍では1965年に登場したレオパルト1が運用中であった。がソ連の戦車対策の為、120mm滑腔砲を採用した強化版が検討されていた。しかしこれはアメリカとのMBT-70(KPz70)の共同開発プロジェクトを推進するためにキャンセルされた。MBT-70は革新的な設計であったが、想定よりコストが増加し、西ドイツは1969年にプロジェクトから撤退した。


純国産の新式戦車の開発は1970年にクラウス・マッファイ社によって始められた。1年後には新戦車の名称はレオパルト2と決定され、元のレオパルト戦車はレオパルト1となった。同年17輌の試作車が発注され、16輌が製造された。開発は進み1977年1月に西ドイツ軍は3輌の車体と2基の砲塔からなる量産試作車を発注したが、これらは車体前面により強化された装甲を装備していた。続いて1977年9月に1,800輌のレオパルト2が発注され、5つの量産バッチに分けて製造された。最初のバッチは1979年10月25日に納入された。


概要

当初の外観はかつてのドイツ軍戦車のような台形型の砲塔を採用しておいた。A5形から隔壁装甲または楔装甲と呼ばれる空間装甲板を砲塔前面及び側面に付加。 射撃統制装置を改良し、車長用ハッチ後方に全周旋回可能な車長用サイトを増設したものになり、A6からは主砲をA5までに搭載されていた44口径120mm滑腔砲から55口径120mm滑腔砲に換装し、専用のAPFSDSであるDM53(LKE II)を使用する事により有効射程が向上した。


またレオパルト1と同じくヨーロッパの国々にも輸出された他、カナダチリにも輸出された。

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