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概要編集

相手や周囲への気遣いデリケート問題を避けて、相手が気を悪くしないように配慮するなど、気を使って労ることである。


近年ではデリカシーの無い言動を取る人物を「ノンデリ」と称することも多い。類語は「無神経」「浅慮」「空気読めないKY)」等。


例えば「バカ」「死ね」というそのままの罵倒や人格否定がNGというのは分かりやすい。人を傷つける目的の言葉なので当然である。

一方で「彼女と別れた?」「口が臭いよ」というような、単なる事実の確認や指摘も人を傷つける場合もある。たとえ事実であったとしても、「事実なんだから仕方ないだろ」で終わらずに、相手を傷つけないようにうまく言葉を丸めるのがデリカシーである。

「丸い玉子も切り様で四角 ものも言い様で角が立つ」という都都逸の示す通り、同じ意味合いでも無用な諍いを起こさず、お互いが気持ちよく過ごすための知恵である。


ただしデリカシーの判定はつまるところは相手や周囲の受け取り次第であり、現実にはどんな物言いが「デリカシーがある/無い」と判定されるかは分からない。うまく言葉を丸めたつもりが迂遠な言い方で却って皮肉っぽく聞こえてしまうこともあれば、ストレートにツッコんであげたほうがむしろ救われる、なんてこともあるだろう。

その辺りの察し分けは非常に難しく、完璧にこなすのは現実的には困難なので、ある程度の割り切りは必要になる。


また「デリカシーが無い」と他人に指摘すること自体がデリカシーが無い行為だというパラドックスもある。つまりデリカシーがある者は、無い者に対しては指摘せずソッと離れていくので、無い者はいつまでも自覚の無いまま周囲に迷惑を撒き散らし続けることがある。

さらにこの話を延長をすると「自分にはデリカシーがある!」と自分で言い切れるような人は、単にデリカシーのある人たちに囲まれているから指摘を受けたことが無いというだけで、実はデリカシーが無い側の人間である可能性を自覚した方が良いかもしれない。


「配慮」といえば簡単そうだが、実際はこのように非常に複雑な概念なので、安直に「デリカシーが無い」「ノンデリだ」などと言って他人を裁くことはオススメしない


※本記事では発言の内容に関するデリカシーを中心に記述するが、例えば「声が大きすぎる/小さすぎる」「自分のおしゃべりだけに時間を取りすぎる」「物音がいちいち大きい」といった行動に関する部分のデリカシーもある。


配慮する側の心構え編集

SNSはじめ情報技術が普及した現代では、狭いコミュニティだけで通じるノリや価値観の発言・行動がそのまま他所でも通じるとうっかり思い込んでいて、そのまま全世界に発信されている場所に持ち込んだ結果炎上してしまうというパターンがよく見られる。

対策としては普段から価値観や文化の違う人たちと広く交流を持つことが考えられるが、万人ができる方法ではないのと、必ずしもデリカシーの改善に直結するわけではないのが難点である(むしろ異なる価値観の他人と関わるうち、病んで被害者意識を増長してしまう恐れもある)。


公人はともかく、一般人であれば要求されていない範疇のことについての発言の一切をやめたり、対人関係を極力避けたり、SNSはしない又は必ず鍵垢運用だけにしたり、いざとなったら美辞麗句だけを吐いて逃げるなど、可能な限り交流を持たず自我を出さない方法が、「デリカシーが無い」と思われないための特効薬といえる。特に相手と私的に親しくない場合は有効な方法である。また古のインターネット半年ROMれ」は正にこの手法の実践で、特定のコミュニティ内におけるデリカシーを1から学習したい場合にもオススメできる方法である。

ただし相手がこちらに好意を抱いてる、あるいは交流を持ちたいと考えている場合は「冷たい」「つまらない」「私のことが嫌いなのか?」などと思われることのリスクとの両天秤なので、常に正解では無い点に注意が必要である。世の中には「多少デリカシーが無いくらいが面白い」と考える人も一定数いるし、デリカシーを抜きにした本音を語り合えた方が親交が深まる場合があるのも事実で、結局は配慮とか以前の、人の好き嫌いの問題に収束する話かもしれない。


以前は脳の構造上の性差があるせいで、男性はデリカシーについて考えるのが苦手だと思われてきたが、近年の研究では必ずしもそうでないとするものが複数発表されているし(下記外部リンク参照)、最近は公人の女性がデリカシーの無い発言で炎上するケースもよく見られるため、性差は関係ないという見方が自然になってきている。


コミュニケーション手法は訓練や学習によって「型」を覚えればある程度カバーできるものとして、ノウハウが蓄積されている。「他者への共感性や想像力が欠ける」とされる自閉症スペクトラムADHDといった発達障害者向けの生活マニュアルでは、こうしたデリカシーの類型についても具体的な噛み砕いた説明が有ったりするので、怒られたり呆れられたり避けられたりしがちな人は健常者でも気軽にアクセスしてみることを勧める。


概要で述べた通り他人のデリカシーが無いことを指摘する事自体がデリカシーが無い行為だが、その誹りを受けることを覚悟で(いやその覚悟が無かったとしても)あなたに「デリカシーが無い」と言ってくれる人は決して邪魔者ではなく、むしろ意見に耳を傾けるべき貴重な存在である。

注意を受けて「仕方ないだろ自分はこういう人間なんだから」と開き直るのも、注意を受けないからと「自分のデリカシーには問題がない」と慢心したりするのも、どちらもデリカシーの無さが原因で生活の糧を失う爆弾を抱えることになる。分からなくても分からないなりに歩み寄りを模索したり、自分を常に戒める謙虚な姿勢こそ、無闇に嫌われない人間になるための第一歩と言える。


参考外部リンク編集

ステレオタイプに陥らないために──「男性脳・女性脳」の言説:東京大学広報室

30年分のデータを調査した結果「男女の脳に有意な差はない」と判明:GIGAZINE


配慮される側の心構え編集

マナー(礼儀作法)に比べるとデリカシーはやや曖昧な概念でもあり、感性や立場のズレから「デリカシーが無い」と感じられるだけの場合もある。もちろんいかなる状況でも言葉を掛ける側に一定の配慮は必要だが、人間という生き物が完璧ではない以上、微妙な言葉の後先に配慮するには能力的な限界があるのも事実であり、それを受け容れられずいちいちデリカシーについてあげつらっていると、本当に大事なものを失ってしまう場合もある。


例えばもし事情を知ってさえいれば配慮してくれるような間柄の友人が、たまたま事情を知らなかったばかりにしてきた素朴かつ率直な質問に対して、自分の心の繊細さを守ろうとするあまり「デリカシーが無い!」と一方的に非難するのは、ただ無意味に貴重な交友関係を損耗させるだけである。

逆にもし事情を知っていても尚訊いてくるならば、それは単にその人があなたのことを嫌っているというだけであり、デリカシー云々の話に帰着させること自体が間違いである。


また精神科医や警察などが個人や家庭のことを根堀葉堀尋ねるのを、デリカシーの観点から一蹴するのは勝手だが、その結果本当に重要な問題が解決できなくなるかもしれない(彼らだって仕事でさえなければ、ヨソの家の事情など無理やり聞きたいわけでは無いハズである)。


他にも誤った行いをする人間を叱る場合、デリカシーを遵守しようとするあまりに言葉をうまく紡げず、逆に付け上がらせてしまうかもしれない。もちろんデリカシーに配慮しつつ厳しく叱る方法も無くは無いのだが、例えば他人の生活や命を危険に晒すような重大な問題では、デリカシーを抜きにした厳しい叱り方をしなければ伝わらないこともあるだろう。

なお叱られる側の人間がデリカシーを逆用し、「あなたの言い方はデリカシーが無い!」という、本筋からズラすための無意味な反論をする場合もある(『トーン・ポリシング』)。そもそも叱られる人間は先にデリカシーの無い(どころか、他人の人権を踏み躙っている)行動や発言をして揉め事の原因を作った側である場合が多く、それなのに叱る側のデリカシーの話に終始するのは本末転倒という他無い。


「デリカシーの無い言動に傷つけられた!」という印籠だけを持って、自分の主張の全てを押し通すことはできない。

一定以上のデリカシーは、与えられるに値する状況や相手にだけ与えられる資格がある、という点は押さえておきたい。


関連項目編集

モラル

マナー

神対応

オブラートに包む

半年ROMれ

ド直球

コミュ障

空気読めない/KY

ハイリーセンシティブパーソン

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