ドミティアヌス
どみてぃあぬす
11代ローマ元首 厳罰主義者暴虐君として記録抹殺 治世12年 享年45。
概要
TITVS FLAVIVS CAESAR DOMITIANVS AVGVSTVS DOMINVSV ET DEVS
本名 | ティトス・フラウィウス・ドミティアヌス |
スペル | TITVS FLAVIVS CAESAR DOMITIANVS |
皇帝名 | ティトス・フラウェウス・ドミティアヌス・アウグストス・ドミヌス・エト・デウス |
スペル | TITVS FLAVIVS CAESAR DOMITIANVS AVGVSTVS DOMINVSV ET DEVS |
生没 | 51年10月24日 ローマ(イタリア本土)- 96年9月18日 召使による暗殺(記録抹殺) |
権力 | 元老院から |
統治 | 81年9月14日 – 96年9月18日(15年) |
経歴
11代ローマ元首。厳罰主義者・暴虐の君主として記録上抹殺された。
ティトゥスの共同元首として知られるが、ティトゥスと違い英才教育は受けさせてもらえなかったせいか、かなり人格に問題があったと言われている。
元首ティトゥスが急死(ドミティアヌスが暗殺したとも囁かれる)すると急遽ローマ元首に即位した。
無慈悲のうえ不誠実
潔癖な政治を志したせいか不正を許さぬ統治をしたようだが、自身の個人的感情から罰することが多く、治世の末期は暴虐をもって伝えられるようになった。ローマ本国に無慈悲な法を強制発布し、ローマ市民から言論の自由を奪った。元老院議員や騎兵階級のものをたびたび告発しては死刑にした。貴族階級に公然と敵意を示し、元老院の決議をしばしば無効にした。それでいて自分に対してはかなり甘い、最悪な性格とされていた。