帝政期ローマにおいてユリウス・クラウディウス朝断絶後の混乱を収め皇帝位を世襲した家族、王朝。3人のローマ皇帝が属する。一般にフラウィウス朝とも呼ばれる。
ローマ史に疎い人でも古代ローマと言ったときに思い出される「コロッセオ」、「ポンペイ」の時期にあたる王朝。ウェスパシアヌス、ティトゥス、ドミティアヌスの三人が属する。ドミティアヌス没後、帝位にはネルウァが就き、ローマは五賢帝時代を迎える。
暴政を行ったネロは反乱を起こされ自殺、ローマは四皇帝の年と呼ばれる内乱に突入する。この内乱の最終的な勝者となったのがウェスパシアヌスであり、ティトゥスはその長男、ドミティアヌスは二男と帝位を世襲した。
ユリウス・クラウディウス朝はもちろん、その後のガルバ、オト、ウィテッリウスもローマの上流階級出身であるのに対しフラウィウス家は家格においてそれらに劣った。混乱の中で「最強の軍事力の保持者がローマを支配する」というむき出しの権力性が単に露わになったに過ぎないともいえるが、それ故にウェスパシアヌスは軍事力以外の自身の権力の正統性、権威の確立に腐心した。
この結果、それまで帝国の責任者、第一人者として特別ではあるがあやふやな存在でもあった「元首」の地位を、それを構成する各種権限をまとめて皇帝権限として継承、世襲させることで「ローマ皇帝」として確立させることになった。またフラウィウス朝の皇帝たちは他の皇帝たちと比較しても在職中のコンスル職への就任が非常に多いが、これも家格において劣る自身らの権威づけのためとみることができるだろう。
元老院らへ敵対的、暴虐的な政治を行ったドミティアヌスは西暦96年に暗殺され、子供もいなかったことからここにフラウィウス朝は断絶した。