ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

ミラージュ3の編集履歴

2012-11-30 20:03:29 バージョン

ミラージュ3

みらーじゅとわ

フランス、ダッソー社製の戦闘機。均整のとれたスマートな機体と純デルタ翼が美しい、実にフランスらしい美意識に満ち溢れた傑作戦闘機。本当はローマ数字を使って「ミラージュⅢ」とするのが正式名称である。

フランス戦闘機の系譜

1944年8月、アメリカを始めとする連合軍により、パリがナチスより解放される。

1945年5月、ヨーロッパにおける第二次世界大戦終結。

以降、フランスは復興を加速させてゆく。


1947年、ダッソーは早くも戦後初のフランス国産戦闘機の開発に着手する。

これは戦後初の自動車「シトロエン2CV」発表の、さらに1年前という速さである。

1949年に初飛行を遂げたこの機の名が「ダッソー・ウーラガン」で、エンジンはイギリス製の「ニーン」を搭載している。


初飛行から2年後、ウーラガンは「ミステール」へと発展し、

1954年には国産エンジンにてヨーロッパ機初の超音速飛行を達成している。

生産は1954年から58年まで続けられ、さらに改良された機はインド(印パ戦争)やイスラエル(第二次中東戦争)の手によって砲火の洗礼を受ける事となる。


うつくしき「幻影」あらわる

「軽戦闘機計画」

1952年からフランスは軽戦闘機についての研究をはじめており、

翌年には朝鮮戦争の教訓を踏まえた要求仕様が出来上がった。

(もちろんMiG-15の衝撃によるもの)

ただし、ここで提出された開発プランはいずれも『小さすぎてレーダーを積めない』という問題を抱えており、計画は一度中止して、仕切り直す事になった。


デルタの刺客

1956年、新たに『マッハ2クラスの新世代戦闘機の開発要求』がフランス空軍から発表され、

ダッソーではミステール戦闘機にデルタ翼を組み合わせた「ミステール・デルタ」の改良型(というか拡大型)を製作、1956年11月17日初飛行を遂げた。

のちに「ミラージュ」として知られるようになる、一連の戦闘機のはじまりである。


だが、万事が順風満帆とはいかなかった。当初は音速を超えられなかったのだ。

試作機の最高速度はマッハ1台に止まっており、

たとえロケット・ブースターを使用しても、最高速度はマッハ2に達しなかったのである。


こうしてミラージュはⅠ、Ⅱと発展を遂げていき、

1957年、新型エンジン搭載のために大型化された「ミラージュⅢ」として採用になるのである。

試作機であるミラージュⅢAは1958年5月12日に初飛行、

同年10月24日には最高速度マッハ2を記録した。

(もちろんヨーロッパ諸国製戦闘機としては初)


本格的な実戦型はミラージュⅢCからとなり、以降は時代と共に改良を続けていくことになる。

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました