概要
ドイツでしばしば用いられる言葉。具体的にはドイツ民主共和国(以下東ドイツ)時代や、当時の物品などを懐かしむことを指す。
1989年にベルリンの壁が崩壊し、翌1990年にはドイツ連邦共和国(西ドイツ)と東ドイツの統合が実現した。1945年の敗戦以来、ドイツは民族分断の憂き目にあい、実に45年ぶりの祖国統一に国民は期待に胸を膨らませた。
しかし、表向きは「対等的な統一」とされていたにもかかわらず新生ドイツの閣僚の顔ぶれは旧西ドイツのままであった。西ドイツの正式名称「ドイツ連邦共和国」がそのまま使われ、西ドイツの事実上の憲法であるドイツ基本法において統一後制定されると規定されていた憲法は現在も棚上げ状態のままで、代わりにドイツ基本法が憲法として機能している状態であり、実質西ドイツによる東ドイツの吸収併合であった。
それだけならまだしも、45年間分断された東西ドイツ市民には経済・社会・価値観など様々な面で大きな格差や隔たりが生じ、国民はその現実に直面することとなった。
東ドイツはかつて「社会主義の優等生」と呼ばれるほど経済的にはそれなりに発展していたが、世界第3位の経済大国であった西ドイツとの間には3倍もの経済格差が存在しており、統一後流入してきた西ドイツの資本に東ドイツの企業は対抗できず競争力を失い倒産した。そればかりではなく、旧東ドイツ地域のインフラ整備や失業対策に投じられる莫大な資金の財源である税金を払う旧西ドイツ市民にとって大きな不満となり、旧東ドイツの存在そのものを不良債権扱いする風潮すら生まれた。これに旧東ドイツ市民はプライドを傷つけられ、、互いを「オッシー(東野郎)」「ヴェッシー(西野郎)」と呼び合い、大きな溝を形成したのである。
こうした中で、鬱憤を募らせる旧東ドイツ市民の間には「旧東ドイツ時代も悪いことばかりではなかった」という概念が生まれ、当時の思い出や物品を懐かしむようになり、それが「オスタルギー」と呼ばれるに至った。
ただし、オスタルギーは往々にして社会主義時代を賛美し資本主義を否定するものではなく、基本的には「急速に西側化しようとする流れに抗い、古き良き時代の名残を愛でる」以上のものではない。日本で例えるなら「(貧しかったけど)昔は楽しくて良かった」と懐かしむ高齢者達の郷愁を思い出せば話は早いだろうか。
時にこのオスタルギーは時に社会運動にも発展し、歩行者信号機の意匠として知られたアンペルマンは統一後西側規格に置き換わる予定だったのが市民の抗議運動によって撤去を免れており、今も旧東ドイツ地域を中心に命脈を保っている。
再統一から30年以上経過し、東ドイツ時代を知る人間も徐々に少なくなっているが、現在でも旧東ドイツ地域を訪れれば、当時を忍ばせるモニュメントや物品は容易く目にすることができる。
主なオスタルギーにまつわるもの
- アンペルマン 上述の通り。そのかわいらしいデザインから外国人にも関連グッズがベルリン土産の定番として人気がある。意味は「信号男」。旧東ドイツ地域だけではなく旧西ドイツ地域でも用いている都市があり、2004年には女の子バージョン「アンペルフラウ」も登場した。
- トラバント あらゆる意味で東ドイツ社会を象徴する自動車。当然現在では生産されていないが、廃棄されていない車両はベルリン観光用のレンタカーとして人気だったりする。
- 僕らのザントメンヒェン ヨーロッパの民間伝承の妖精砂男を題材にした人形アニメ番組。統一後も旧東ドイツ地域を中心に根強い人気があったため、統一後も引き続き全土で放送されている。
- 東ドイツ博物館 旧被害ドイツ市民の生活や風俗、社会体制をテーマにした博物館。
- グッバイ、レーニン! 正確にはオスタルギーをテーマにして作られた映画。ドイツ版『三丁目の夕日』とでも言うべき娯楽作品であり、「東ドイツあるある」ネタ満載のコメディドラマ。
- 善き人のためのソナタ 人々がオスタルギーに浸る東ドイツの闇の部分を描いた映画。主演のウルリッヒ・ミューエは旧東ドイツ時代、シュタージの非公式協力者だった妻から監視・密告を受けていたとされる。
- バナナ 生産量が少ないキューバ産バナナしか手に入らなかった東ドイツにとってバナナは滅多に口にできない貴重品だった。ベルリンの壁崩壊後はバナナを買い求めにやってくる東ドイツ人が西ベルリンのスーパーに殺到していたという。