概要
正式名称は国家保安省(Ministerium für Staatssicherheit、略号はMfS)だが、シュタージ(Stasi)という通称の方が世間に浸透している。
東ドイツの省庁として創設されたのは1950年だが(その後1953年に内務省麾下の庁に格下げされるも1955年に再び省に格上げ)、ソ連軍政下で既に原型となる第5委員部が誕生しており、そこには第三帝国親衛隊、特に国家保安本部(ホロコーストの実行に大きく貢献した部局)に所属していた経歴のある人材が相当数採用されていたとされている。
そのため、ある意味では親衛隊の後継組織と言える組織であり、武装親衛隊ほどではないがフェリックス・ジェルジェンスキー衛兵連隊という国家人民軍に所属していない独自の軍事力を保持したりしていた。
活動成果
国内
ソ連のKGBや第三帝国のゲシュタポを超える徹底した国民の監視体制を敷いたことで有名で、国民の反体制的行動を密告する非公式協力者は約190万人、全人口の一割という規模で存在した。
ドイツ再統一後、公開されたシュタージの記録で家族や友人がシュタージの協力者であることを知り、あちこちで家族関係や友人関係が崩壊し、被害者が極度の人間不信に陥った例が少なくなかったとされる。
長年にわたり国家保安大臣を務めたエーリッヒ・ミールケ上級大将は、東ドイツのサッカーチーム、BFCディナモ・ベルリン(※現在はベルリナーFCディナモ)を支援していた。その手法は、相手のプレーをわざと妨害させたり、審判へ不正ジャッジを強要したりなど、常識的に考えられないものがほとんどであった。この様な不正ジャッジによって、BFCディナモ・ベルリンは、1979年から1988年までDDRオーバーリーガにおけるリーグタイトル10連覇という驚異の結果を出した。しかしながら、シュタージが大きく関与した不正行為で優勝したチームを、市民たちは当然快く思わなかった。そのため、全東ドイツ国民の憎悪の対象となり、試合の際は強烈な罵声で迎えられることとなった。
西ドイツへの工作
東西ドイツの統一は、東ドイツとしても目指すべき目標であったため、西ドイツを共産主義化させての赤化統一を達成すべく、あらゆる工作を行った。
その中でも一番の成功例として有名なのは1970年代の「ギヨーム事件」であろう。
シュタージの諜報員であるギュンター・ギヨームが、西ドイツの首相ヴィリー・ブラントの信頼を得て個人秘書となり、西ドイツの外交戦略を筒抜けにした。最終的にギヨームは諜報員であることが判明して妻とともに逮捕されたが、結局この事件はブラントの辞任の原因となった。
ただシュタージ対外諜報部門の責任者だったマルクス・ヴォルフによると、ギヨームを使ってブラントを失脚させることまでは企図しておらず、またギヨームがブラントの側近となることを最初から期待していたわけではなかったという。
シュタージが登場する作品
1983年の東ドイツが舞台。BETAに制圧された東欧(ポーランドやソ連)からの難民を統制する目的もあって史実よりも権限が強化されている。
さらには史実のフェリックス・ジェルジンスキー衛兵連隊よりも規模・装備の両面で大幅強化された軍事組織「武装警察軍」を擁している。
ただしシュタージの内部では、今まで通りソ連との関係を重視すべきと主張する「モスクワ派」と、東ドイツは独自に東欧諸国との連携を強化すべきと主張する「ベルリン派」の間で激烈な派閥抗争が展開されている。
「ゴルゴ13」
東ドイツが存在していたころから何度も登場したほか、ドイツ再統一(=シュタージ解体)後に描かれた話でも「シュタージファイル」や「非公式協力者」などの遺産が絡む形で登場することがある。
主人公が所属する民間情報組織「真実の目(トゥルー・アイズ)」の前身母体として登場。とはいえ「真実の目」自体は思想的な継承組織ではなく、シュタージ瓦解後の混乱の中で末端所属者が他組織や民間組織からの報復行動から自衛するために依り集まって成立した分裂組織のひとつ。そこから東西冷戦構造の崩壊により食い詰めた諜報員に対して、過去の遺恨をあえて流して「困っている時はお互い様」と言わんばかりに門戸を開いた事から、世界最大の民間諜報組織への道を歩んだ。のちに宇宙開発のスキャンダルから軍産複合体を相手に戦う事となった。
シュタージがモデルとされる秘密警察が登場する。