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概要

フルネームはバッシャール・ハーフィズ・アル=アサド(アラビア語: بشار حافظ الأسد‎, )。

1965年9月11日ダマスカス生まれ。

先代大統領のハーフィズ・アル=アサドの次男として生まれた。

当初は政治家になるつもりがなく、ダマスカス大学医学部を卒業して眼科医になり、イギリスで留学。

そこで在英シリア人の女性で銀行員だったアスマと知り合い交際を始める。

当初父の後継者は彼の兄で軍人だったバースィルの予定だったが、彼が事故死したために急遽帰国し後継者としての道を歩むこととなった。

その後は軍に入って要職を歴任し、90年代末からは大統領顧問として父の元で権力を確立し、2000年6月に父の死去後、同年7月に大統領に就任した。2001年にアスマと結婚。

大統領に就任してからは国内の反対勢力にも苛烈な態度で臨むようになり、汚職対策の名目で多数の閣僚や党員を追放したり検挙したりした。

アラブの春」が波及した市民運動のデモを武力鎮圧するなどして内戦や国内対立の悪化を招き「最悪の独裁者」のワースト上位として扱われている。

麻薬組織やテロ組織を支援しているとして欧米との関係も悪化している。

一方でイランやロシアとは良好な関係を築いている。

ウクライナ侵攻による後ろ盾であったロシアの弱体化に乗じて反体制派が2024年12月に攻撃を仕掛け、アサドは一家で逃亡。

情報が錯綜しているため一家の行き先は不明だが、ロシアが自国内への亡命を認めたことから国外逃亡になる模様。1960年以降最悪の難民数を発生させ(出典)大いに国際情勢を乱したシリア内戦の弾圧者が、政治的難民として亡命に追い込まれるという皮肉な結果となった。

アサド逃亡後、政治犯を多く収監した刑務所が解放され多数の死者や未成年を含めた収容者、拷問の実態などが明らかになっている。

家族

  • ハーフィズ・アル=アサド

⋯父親。16歳でバアス党(アラブ社会主義)に入党。アラウィー派イスラム教徒(哲学の影響を受けた宗派でフランスが支配者に仕立てあげた少数派)。恐怖政治を敷き、親アサド派を形成。第四次中東戦争に参戦。2000年没。心臓病の持病を抱えていた。

  • リフアド・アル=アサド

⋯ハーフィズの弟。1982年ハマー虐殺を起こし、シリア国内のスンニ派を黙らせた。

  • アスマー・アル=アサド

⋯ハーフィズの妻。

アラブ圏には結婚による改姓の概念が存在しないため、上記の呼称は通称のようなもので本名はアスマー・アル=アフラス。

在英シリア人の家庭に生まれ、父は医師。ロンドン大学を出てJPモルガン等の金融機関に勤務していた。

「砂漠のバラ」とも呼ばれるほどの大変な美貌で知られており、彼女も夫を盛り立てるイメージ戦略に協力している。このこともあり、アメリカからは夫人の資産も制裁対象とされている。

近年は乳がんや白血病を患い療養中で、ファーストレディーとして表に出ることは減っている。

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アサド

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