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有原航平の編集履歴2024/12/16 11:48:41 版
編集者:s-parallel
編集内容:「有原式FAをした上沢直之」なのでその表現は違う。

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経歴

1992年8月11日生まれ。広島県広島市佐伯区出身。

ポジションは投手。地元・広陵高校時代から投手として奮闘、3年生の時には春夏で甲子園に出場している。

早稲田大学進学後は1年生からリーグ戦に出場し、3年生時の秋季リーグで最優秀防御率のタイトルを獲得、4年生時の春季リーグにはベストナインにも選出されている。

日本ハム時代

2014年10月23日に行われたプロ野球ドラフト会議で複数の球団から1位指名を受け、抽選の結果北海道日本ハムファイターズが交渉権を獲得してプロ入り。1年目・2015年は開幕を二軍で迎えたが、5月に一軍昇格すると18試合に先発で登板し、1完封込みの8勝6敗の成績で新人王を受賞した。2016年にはチーム最多の11勝9敗、防御率2.94の成績でチームで唯一の規定投球回に到達、チームの優勝と日本一に貢献した。

  • 2017、2018、2020年シーズンはいまいちな成績だった。
  • 2019年、リーグ2位の防御率2.46に、自己最多の15勝を挙げて自身初の最多勝利のタイトルを獲得した。

MLB時代

2020年シーズン終了後のMLB挑戦を前年のオフに表明していた。

ポスティング制度利用によりテキサス・レンジャーズと2年(2021、2022年)総額620万ドルの契約を結んだ。が、右肩の手術などの影響もあり不調で一時はマイナー落ちも経験し、結果を残せなかった。

ソフトバンク時代

2022年シーズン終了後NPBへ復帰し、翌年1月10日に福岡ソフトバンクホークスへの入団を発表。

2024年には再び最多勝利のタイトルを獲得し、ソフトバンクのリーグ優勝に貢献した。

  • ちなみに、本来であれば国内FA権すら取得していない稼働年数ながら、海外移籍を挟むことによりNPB他球団への移籍が出来てしまったことで、彼のファイターズからホークスへの移籍の流れを「有原式FA」と揶揄する声もあった。
    • 本人もこのことに対して色々と思うところがあるのか、古巣の日本ハム戦では思うような戦績を上げられていなかったりする。そして2024年日本シリーズ第6戦で同じくメジャーでは通用しなかったがマイナーでも独立でも泥を啜りながらも挑戦した筒香嘉智に先制ソロを打たれて日本一を逃している。
    • NPB復帰時に古巣とは別の球団に入るケースは過去に何度かあり、ソフトバンクでは松坂大輔がその一例。しかし松坂は8年強メジャーで戦った後(仮にMLBに行かずNPBに留まっていたら、とっくに国内FA権を取得済みになる)だったこと、身体がポンコツ寸前どころかポンコツそのものだったので叩かれることはなかったが金をドブに捨てるような補強をしたことは批判された(ソフトバンクファンなどからは「松坂の39球」事件と呼ばれたりしている。詳細はこちらから)。
    • こういったこともあり、正規のFAで移籍した近藤健介はともかく、「有原は絶対に許さない」「同じ有原式FAの手順を踏んだ上沢直之も許さない」という認識を持つ日本ハムファンは多い。

関連項目

プロ野球選手 投手

北海道日本ハムファイターズ テキサス・レンジャーズ 福岡ソフトバンクホークス

  • 凡田夏之介グラゼニの主人公である意味では有原式FAの元祖。代理人を介しての契約交渉で揉めてポスティングを申請。翌年マイナー契約でスプリングキャンプに参加するが残れなかったので帰国、文京モップスにFA移籍という有原式FAを行っている。ポスティング申請からモップス入団までは約半年の出来事である。
有原航平の編集履歴2024/12/16 11:48:41 版
編集者:s-parallel
編集内容:「有原式FAをした上沢直之」なのでその表現は違う。
有原航平の編集履歴2024/12/16 11:48:41 版