MiG-3の誕生
MiG-3はミコヤン・グレヴィッチ設計局のアルチョム・ミコヤン、ミハイル・グレヴィッチの両人がポリカールポフ設計局で開発されたI-200戦闘機をベースに設計したMiG-1の改良型である。
1940年に制式量産化が始まったMiG-1は、同時期のソ連の戦闘機の中では優秀な空戦性能は良かったが機体安定性や機体強度、火力が不足しているなど多数の欠点を持っていた。
MiG-3ではそれの改善を目的としており、MiG-1の搭載エンジンに高々度用の排気タービン式過給器を加えたものへ換装し、エンジンの変更に伴い補助燃料タンクを増設、風防形状を変更や主翼形状の変更で視認性能と機体安定性を向上に成功、1940年末に生産を開始した。
MiG-3の特徴
MiG-1との相違点はミクーリンAM-35液冷発動機に排気タービン式過給器を搭載した事である。
排気タービン式過給器はエンジン排気という余剰エネルギーを利用して大量の空気と燃料を送り込む装置であり、空気の薄い高空でエンジンの出力を確保するのには欠かせない装備だった。
また、機必要最小限の設計改良(主に主翼形状の僅かな変更)で機体安定性の確保に成功しており、空気力学的に洗練された機体形状により高い高速性能を実現している。
実戦参加
MiG-3の空戦性能は極めて優秀だった。
高度5000m以上の高空域における最高速度は640kmを記録し、同時期に開発されたヤコヴレフYak-1やラボ―チキンLaGG-3と比較して高速性能や運動性能で圧倒していた。この数値は当時のドイツ軍の主力戦闘機であるメッサ―シュミットBf109やフォッケウルフFw190より高速である。独ソ戦開戦当初はモスクワ首都防空戦で激しい戦闘を繰り広げ、1942年以降に生産中止の命令が下されても、高々度性能を生かした戦術偵察機として大戦終結まで活躍した。
その後
MiG-3の生産は搭載エンジンの生産中止に伴い、1942年に生産を終了した。
総生産機数はMiG-1と合わせて3000機程度、後継機の量産は行われなかった。MiG-3の生産中止に関する説は様々な説があるが、最も有力な説としてはソ連軍の航空作戦は低空域での作戦展開が多く、MiG-3の様な高々度戦闘機の需要が殆どなかったと言われている。