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孝霊天皇の編集履歴

2013-09-09 11:43:05 バージョン

孝霊天皇

こうれいてんのう

日本国第七代天皇。大日本根子彦太瓊尊(オオヤマトネコヒコフトニノミコト)。いわゆる欠史八代の1人で、実在しない天皇と捉える見方が一般的であるが実在説もある。

やはり何をしたかが分からない天皇シリーズのお一人。彼が何者だったかを知る術はもはやない。


系譜

父は孝安天皇。母は、天足彦国押人命(アマタラシヒコクニオシヒトノミコト)の女・押媛。


皇子の彦五十狭芹彦命(吉備津彦命)と稚武彦命の兄弟は共に伝説上の桃太郎モデルであるといわれている(一般に彦五十狭芹彦命の方が有名である)。


皇居

都は黒田庵戸宮(くろだのいおとのみや。奈良県磯城郡田原本町黒田の法楽寺が伝承地)。


実績

特になし


御陵

片丘馬坂陵(かたおかうまさかのみささぎ、奈良県北葛城郡王寺町本町三丁目)。古事記には「片岡馬坂上」と書かれている。


その他

琵琶湖・富士山形成

孝霊天皇5年の時、大地に大きな裂け目ができて琵琶湖が形成され、その土が駿河国に積み上がり富士山になったと言われている。


虚構説

「ヤマトネコ」という称号は7代孝霊・8代孝元・9代開化、少し離れて22代清寧の諸天皇(『古事記』)にみえ、『記・紀』の編纂が最終段階に入った7世紀末から8世紀初めに存在した持統・文武・元明・元正の諸天皇(『日本書紀』・『続日本紀』)の称号にもみえる。このことは、7,8,9代の天皇の称号を、後世の『記・紀』編纂最終段階に存在した天皇の称号に似せて造作したとの疑いが濃厚である。要出典

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