概要
日本海軍が独自に設計した初の超弩級戦艦であり、竣工時は世界最大の戦艦だった。
姉妹艦として『山城』『伊勢』『日向』が建造される予定だったが、
後述の欠陥のせいで伊勢と日向は再設計のち伊勢型戦艦として建造されることになった。
ちなみに山城は天皇家が1200年近く住んでいた京都府の旧国名、
伊勢は言わずと知れた伊勢神宮の所在地三重県の旧国名、
日向は神武天皇の東征の出発点といわれている宮崎県の旧国名、
いずれも天皇家と関わりが深い土地から名前がつけられている。
そして一番艦に日本の美称である「扶桑」を与えたことからも
当時の海軍がどれだけ期待していたかが伺えるというものであろう。
現実は非情である
構想上では世界最強の火力と速度を両立した超弩級戦艦となるはずであった。
しかし実際に建造してみると次々に欠陥が明らかになっていく。
十二門もの主砲を積んだ結果、弾薬庫などの被弾危険箇所は全長の5割に達し防御力に大きな問題を抱える結果となり、さらに主砲の配置そのものにも問題があり一斉射撃時には爆風が艦全体を覆ってしまう結果となった。
また機関部を砲塔が挟むという構造が災いし、ボイラーの増設によって速力を強化することができず、25kt程度と劣速であったために大東亜戦争では金剛型戦艦に比べると出撃の機会が無かった。
昭和19年10月に米軍がフィリピンのレイテ島に上陸した際、西村艦隊としてレイテ湾に殴りこみをかけたが25日未明、レイテ湾南方のスリガオ海峡で米艦隊の待ち伏せ攻撃を受けた(レイテ沖海戦)。
その際、魚雷4本がかねてよりの問題であった『全長の5割に及ぶ被弾危険箇所』に命中し大爆発、艦体が真っ二つに折れて沈没。生存者ゼロという悲惨極まりない最期を遂げた。
このスリガオ海峡での海戦で同型の山城も撃沈され生還したのは駆逐艦時雨のみだった。
実戦以外でも不遇な戦艦であり、日本海軍艦艇にとって最大級の名誉である連合艦隊旗艦を一度も務める機会がなかった。
容貌
近代化改装を繰り返した結果の、ジェンガかはたまた九龍城かと揶揄されるほど見た目に不安な艦橋が特徴であり、この独特な外観を好む人もいる。
↑「戦艦扶桑」タグがついているのはそうした事情による。
検索について
pixivにおいては「艦隊これくしょん」における擬人化キャラクター(扶桑(艦隊これくしょん))の投稿が多いが、上述の通りその独特な外観が好まれ、本艦そのものに関する投稿も少なくない。
本タグはピクシブ百科事典における記事独立用のタグであるため、検索においては「戦艦 扶桑」など複数条件での絞り込み検索を推奨。