日本時間の昭和16年12月8日、日本はハワイの真珠湾に停泊していたアメリカ太平洋艦隊を攻撃して、アジア地域を植民地支配していたアメリカ、イギリス、オランダの三ヶ国に対して開戦した。
日本は直前まで対米戦争を全く想定していなかったが、アメリカは日本と戦うことを決めていたので日米交渉は妥結せず、中国大陸と仏印から一切の陸海空軍と警察力を即時撤収することや、蒋介石の重慶以外の政権を認めることを禁じること、また日独伊三国同盟からの実質的な離脱を求めるという、どう見ても受諾不可能な内容を含めたハル・ノートにより、万策尽きて日米開戦が決定した。
アメリカのルーズベルト大統領は、ハワイ海戦の前夜に、ホワイトハウスに家族全員を集めて、夕食を楽しみながら談笑中、中座した。ほどなくして戻ってくると、晴れやかな笑顔を浮かべて、家族を見回して「戦争は、明日始まるよ」と言った。
日本時間の12月8日午前3時19分、第一波攻撃隊総隊長の淵田美津雄中佐が真珠湾の上空にて指揮下の攻撃隊に対し『全軍突撃せよ』を意味する符丁「ト・ト・ト・・・」(ト連送)を発し、奇襲攻撃を開始。奇襲攻撃が成功すると淵田中佐は日本時間3時23分に機動部隊の旗艦赤城に対し『我、奇襲に成功す』を意味する符丁「トラ・トラ・トラ」を発した。
第一波攻撃は、ハワイ時間の午前7時53分に始まり、真珠湾が劫火に包まれた。
日本では12月8日午前6時、米英二国に対して戦争状態に入ったことを知らせるラジオの臨時ニュースが流れた。
「大本営陸海軍部、十二月八日午前六時発表 帝国陸海軍は本八日未明西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり」という短い発表であった。