概要
箕面自由学園高等学校在学中に『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「ダンス甲子園」出場をきっかけに芸能界入り。
1992年にドラマデビューして以来は俳優にシフトし、映画の「バトル・ロワイアル」の川田章吾役が比較的知名度が高い。
政治活動
以前からグリーンピース幹部である佐藤潤一などとの親交が厚く、左翼よりの思想を持っていたが、2011年の東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故を契機に反原発運動や社会運動により傾倒し、所属事務所も辞めてしまう。
しかしその運動にあたっては「風評被害」と評されるような科学的根拠に乏しい発言も多く、大和田秀樹の作品「風評破壊天使ラブキュリ」作中でも痛烈にディスられている。
2012年に政治家転身を目指し、同年12月の衆議院議員選挙に立候補。
日本未来の党からの勧誘もあったものの結局「新党 今はひとり」を立ち上げ、事実上の無所属(日本未来の党・社会民主党推薦)で出馬したが落選した。