開発経緯
RB26DETTは、開発当時グループA(Gr.A)車両で戦われていた全日本ツーリングカー選手権(JTC)での勝利を目指し、スカイラインGT-Rのために開発されたエンジンで、レースを戦う上で最も有利な排気量を求めた結果、2.6Lという排気量となった。ライバルの今後の進化の度合いを詳細に分析し、最高出力を600PSと定めて開発を進めていった。ベンチマークとされたのはフォード・シエラ RS500である。
市販車として中途半端な排気量の理由
自動車税が3.0Lと同じになってしまう2.6Lという、日本の市販乗用車としては中途半端な排気量となった理由は、前述のレースのレギュレーションと深い関係がある。
スカイラインGT-Rが参戦を予定していたJTCでは、排気量ごとにクラス分けがされ、そのクラスごとに最低重量とタイヤの最大幅が決まっていた。また、ターボチャージャーなどの過給機を装着しているエンジンの場合、自然吸気エンジンに対するハンディキャップとして、総排気量に過給係数の1.7を掛けた値を参戦車両の排気量として扱っていた。
当初、スカイラインGT-RにはRB24をショートストローク化した排気量2.35Lのターボエンジンを搭載する予定で、それはGr.Aでは4.0Lクラスに該当した。しかし、同時に採用が予定されていた電子制御トルクスプリット4WDのアテーサE-TSにより、FRであるベース車両に対し100kgほどの重量増加となった。そのため軽量化しても4.0Lクラスの最低重量(1,180kg)をかなり上回ってしまう上、目標にしていた600PSの出力に、このクラスのタイヤ幅(10インチ)では対応できないと判断した。そのため一つ上の4.5Lクラス(最低重量1,260kg・タイヤ幅11インチ)での参戦を選択し、排気量を2.6Lへと変更された。
ちなみに、4.5Lクラスに該当するターボエンジンの排気量の上限は2,647ccであり、2,568ccである本エンジンは79ccほど余裕があるが、生産ラインの関係上、それ以上の排気量アップには至らなかった。
ニュルとのファーストコンタクト
RB26DETTの開発も進み、スカイラインGT-R発売前に、ドイツにある世界一過酷なコースとも言われるニュルブルクリンクへ、外装をシルビアに偽装したテスト車両を持ち込むこととなる。開発グループは自信を持って持ち込んだが、当初は油温・水温ともに完全にオーバーヒート状態で、最終的にタービンブローを喫することとなる。開発を担当したダーク・ショイスマンもかなり手こずっていたそうである。その後改良を重ね、なんとか走りきれるまでになったが、その車両を筑波サーキットに持ち込んだところ、かなり強いアンダーステアに悩まされた。この原因としては、アテーサE-TSによるものと、フロントヘビーな重量配分に起因していると開発陣は見ていた。
レース活動
サーキットへ
1990年3月17日、前年まで参戦していたR31型 スカイラインGTS-Rに替わり、RB26DETTを搭載した2台のR32型 スカイラインGT-RがJTC第1戦・西日本サーキット(後のMINEサーキット)に登場した。この日の予選では、カルソニックスカイラインとリーボックスカイラインとが、それまでグループA最強を誇っていたフォード・シエラに大差をつけ、フロントロウを独占し、ポールポジションをカルソニックスカイラインに乗り込む星野一義/鈴木利男組が獲得。
翌3月18日の決勝では、スタートと同時に2台のスカイラインGT-Rが同クラス(ディビジョン1)の他のマシンを、別クラスであるかのように突き放し、レースを進めていった。しかし、そんな中でも不安がなかったわけではなかった。まず不安材料の一つ目はRB26DETTから搾り出される600PSもの出力によってトランスミッションにかなりの負荷がかかり、ミッショントラブルの発生の危険性があったこと。そしてレギュレーション上、ブレーキ冷却ダクトの断面積をむやみに拡大できない事と、そもそもの車重によるブレーキのフェードの可能性であった。そのため、決して余裕のある戦いではなかったのだった。
しかし、そんな状況にもかかわらず、カルソニックスカイラインが2位以下の車両を全て周回遅れにし、ポールトゥーウィンを果たし、2位には不安視されていたミッショントラブルを抱えながらも長谷見昌弘/アンダース・オロフソン組のリーボックスカイラインが入り、3位以下に大差をつけ、スカイラインGT-Rのレース復帰の初陣をすばらしい結果で飾ったのだった。
その後、破竹の勢いで1990年シーズンを戦い、カルソニックスカイラインがシリーズチャンピオンを獲得し、一戦だけリタイアしてしまったリーボックスカイラインがシリーズ2位を獲得したのだった。もはや、スカイラインGT-RのライバルはスカイラインGT-Rのみという状態であった。そのために、ディビジョン1はスカイラインGT-Rの事実上のワンメイククラスとなっていた。その後1993年までJTCを戦い、全29戦29勝という金字塔を打ち立てた。
国内選手権に関しては、Gr.Aレギュレーションのレースだけでなく、N1耐久シリーズ(現・スーパー耐久)という改造範囲がかなり狭いレースにも参戦した。ここでもほぼ敵無しの状態であったが、筑波12時間ではブレーキトラブルによって優勝争いから脱落し、シビックが優勝するということもあった。その後、日産はブレンボ製ブレーキキャリパーを装着したV-spec N1を発売し、ブレーキ関連のトラブルはほぼ起きなくなった。
また、RB26DETTを搭載したスカイラインGT-Rは海外レースなどにも進出し、スパ・フランコルシャン24時間やニュルブルクリンク24時間、マカオギアレース、デイトナ24時間、バサースト1000kmなどで活躍した。
ちなみに、マカオギアレースでは800PSもの出力で予選を戦ったそうである。
JTC後
JTCは1993年限りで終了し、スカイラインGT-Rは1994年から始まった全日本GT選手権(JGTC)に参戦するようになる。当初はGr.A仕様をワイドフェンダー化し、エアリストリクターを装着して450PSに出力が下げられ参戦していた。その後は、レギュレーション上の理由により、FRが有利と判断してFRに改造して参戦するようになる。
1995年にはル・マン24時間レースにNISMO GT-R LM(R33型改)として2台出場したが、Gr.A仕様のエンジンをベースにした車両はリタイヤし、Gr.N仕様のエンジンをベースにした車両は見事完走を果たした。Gr.Aベース車は650PS、Gr.Nベース車は450PS程度の出力を発揮していた。しかし、直列6気筒であることによる重量バランスの悪さや、マシンの根本的な空力特性が劣っていたこともあり、当時GT1クラスで異次元のスピードを発揮していたマクラーレン・F1にはまったく歯が立たなかった。当時のドライバー星野一義をして「クラスがまったく違う」と言わしめたほどであった。 ちなみに、ユノディエールのストレートでは、瞬間的にマクラーレン以上のトップスピードを誇ったと言う。
1996年ごろには、新開発のGT1マシン(R390)のエンジンとして検討されたとされているが、実際に現場ではそういった話は一切出ておらず、噂にしか過ぎない。
その後もGT仕様のスカイラインGT-Rは前後の重量バランスが悪いながらも、さまざまな改良を受けて徹底的なエンジンの低重心化を進め、初期のころとは似ても似つかないエンジンの姿と搭載位置になっていた。しかし、2000年以降はJGTCにおいて成績の不振が続き、最終的にはRB26のアルミブロック化なども検討されたのだが、対コスト効果等を考慮しこの案をあきらめ、結局ベース車の生産終了に伴い、JGTCには2002年のシーズン途中からVQ30DETTエンジンに換装したスカイラインGT-Rで参戦することになった。
BCNR33、BNR34へ
Gr.Aが終了し、JGTCに移ってからも、ストリートカーであるGT-RにはRB26DETTが搭載され続けた。
重量などの規制が無いストリートにおいて、2.6Lである意味はまったく無く、専用ラインを設けなければいけないRB26を捨て、海外輸出用のRB30EにRB26のヘッドを積み、DOHCのままで排気量を上げる事も考えられていた(OS技研の旧RB30キットはこのパターン、現行のRB30キットはスペーサーでストロークアップしている)。
しかし、吹け上がりの鋭さなどの「ドライビングプレジャー」を追求した結果、最後までRB26が搭載されることになった。
沿革
1989年
R32型 スカイラインGT-R専用エンジンとして登場し、280PS、36.0kgf·mを発揮し、一代にして日産一のエンジンと言われる程の名機となった。搭載されたタービンの材質には2種類あり、セラミックとメタルがある。セラミックは市販車向け、メタルはGr.A参戦マシン用ホモロゲ用(GT-R NISMO)である。
1990年
HKSより限定50台のZERO-Rが販売。トミタ夢工場より、Tommykaira-RがR32~R34迄販売された。
RB26DETTをNA化し、それをGTS-4のシャーシーに搭載した車両をオーテックジャパンより発売。
1995年
R33型 スカイラインGT-Rが発売された。280PSは同じで37.5kgf·mを発揮。
NISMOが発売したコンプリートカー、NISMO 400Rが99台限定で発売。2.8Lにスープアップされ、400PSを発生する「RB-X」が搭載されている。販売された台数は44台と予定の半数以下であった。
1997年
GT-R以外門外不出と言われていた同機がワゴンカーであるステージア(WC34型)のオーテックジャパン仕様である「260RS」にGT-R以外で唯一初めて搭載・販売された。また、1998年仕様も存在する。
1999年
最後のRB26DETT搭載モデルであるR34型 スカイラインGT-Rが発売された。R390で培った技術で開発されたパーツなどにより280PS、40.0kgf·mを発揮。カムカバーがそれまでの艶消し黒から赤色になったほか、「SKYLINE GT-R」のロゴプレートを装備。BNR34生産終了記念の最終限定車「Nur」には金色のカムカバーを装備。これのV-Spec N1に装備されたメタルタービンの耐久性は非常に高く、ブーストアップだけで500PSを超える性能を誇っている。
2001年8月
RB系 DOHCエンジンの生産ラインを横浜工場(鶴見)から、以前より日産各ワークスチームのRB26DETTのメンテナンスを担当していた日産工機へ移管。
2005年
NISMOの手により20台限定でZ-tune発売。2.8L(正確には2,771cc)化されたRB26DETT Z2改は368kW(500PS)、540N·m(55kgf·m)を発揮。このスペシャルメイドのRB26DETTはZ-tune限定仕様のため、エンジン単体での発売予定は無く、世界に19台しか存在しない(内訳は市販台数17台、保管1台、Proto1台)。
特徴
優れた耐久性
レースに勝つという目的だけで製作されたエンジンなので、市販車の平均的な水準をはるかに上回るエンジン強度がある。
これはシリンダーブロックが鉄製であるため、非常に重いという大きな欠点もあるが、強度が高いことが一番にあげられる。具体的にはクランクシャフト軸受け部分をクランクケースとリブでつなぎ補強、さらにベアリングキャップは一体式のラダーフレームにして剛性を高めている。このラダーフレームがRB26DETTのブロックの強さのキーポイントとなっている。
チューニング雑誌などによれば、450PS程度ならば補機類の強化だけでノントラブルで運用する事ができるといわれるが、実際はエンジンのロットなどにより耐久性も異なってくるため、チューナーと十分相談する必要がある。生産精度のばらつきが非常に多いエンジンで、ものによっては、軽いブーストアップ程度でもブロックに軽微なクラックが入ることがある。また、ピストンが棚落ちする場合もある。そのため、何馬力までなら耐久性は保証されるというわけではないので注意が必要である。
市販パーツとワンオフパーツの組み合わせにより、馬力競争が始まっていき、トップシークレットのGT3037Sツインターボ仕様が1,000PSオーバー、そしてヴェイルサイドのGT3540ツインターボ仕様で1,460PSを搾り出すに至った。しかもこの1,300PSオーバーというパワーでも、仕様によっては先にタービンが悲鳴を上げたほどの頑丈さを誇っている。
同じRB系のエンジンを積んでいるローレルやセフィーロ(A31型)、クルー・サルーンなどといったFRの日産車に移植されることが多く、果てはハコスカや7th(主に2ドアクーペ)などのR32以前のスカイラインや他メーカーの車に移植されたケースも存在しており(前述のトップシークレット1,000PS仕様はスープラに移植されている。また、ワイルドスピードX3 TOKYO DRIFTでは最初シルビアに積んでいたのをマスタングに移植したことがある)、そのポテンシャルの高さが買われていることが分かる。
また、RB26DETTを移植するとはいかなくても、チューニングによって余るパーツをRB20DET/RB25DETへ移植するチューニングも一般的になっている。
- カム…シム形式をアウターシムからインナーシムへ変更するだけで、ハイカムとして扱える。
- スロットル…サージタンク・パイピングを交換する事により、多連スロットル化が可能になる。
- ピストン・コンロッド・オイルポンプ・ウォーターポンプ(N1仕様)…ほぼ無加工で流用可能。
- タービン…スターレットなどの1,000~1,300ccクラスの車両のライトチューンとして流用ケースがあり。
など、当時は多数のパーツが再利用されたエンジンでもある。
弱点
RB26DETTは決して完璧なエンジンではなく、数多くの弱点が存在する。
RBエンジンは開発するに当たって、コスト削減のためL型シリーズの生産ラインやコンセプトを活かしつつ、設計・生産された。このため、アルミ製ブロックではなく鉄製ブロックという時代遅れの設計を余儀なくされた。これは、アテーサE-TSとともにGT-Rが車格の割りに重量が非常に重い要因の一つにもなってしまった。
また、有名な物としてはオイル周りの問題もある。
ブローバイの通路とオイル戻しの通路が共通な上に細いため、ヘッドに上がったオイルがオイルパンになかなか落ちていかない。
ダイレクトイグニッション採用によるスペース確保のために採用されたセパレート式ヘッドカバーは容量が不足している。そのためブローバイのガス圧が非常に高く、それに伴いガスの流速も速いのでオイルの消費量が多くなる。
このオイル周りの問題はちょっとしたブーストアップですら起こってしまうために、チューニングの際には必須事項となっている。具体的にはヘッドとブロックをステンチューブでつなげてオイル通路を増やしてやる、オイルキャッチタンクをつけてシリンダーにオイルが流れ込まないようにする、オイルパンにバッフルプレートを差し込む、空冷式インタークーラーの装着などの対策が存在する。
また、バルブシートの剛性が不足しているため、バルブシートにバルブが陥没してしまうというトラブルも弱点の一つである。ハイカムや強化バルブスプリングを組むときに起こりやすいので注意が必要となる。
Gr.A用エンジンとして開発された経緯もあってか国産ターボエンジン屈指の高回転エンジンであり、他の2.5Lクラスのエンジンと比べて低回転域のトルクが細いという点もある意味弱点である。その為、チューンしていない場合、ライバルエンジンとなる2JZ-GTEより使いにくい面がある。
そのためチューニングパーツメーカーはこぞってこの弱点を解決しようと努力していき、HKSのV CAM SYSTEMや2.8L仕様となるハイデッキキット、前出のOS技研・RB30キット(さらにオーバーサイズピストンを組み込み、最大3.1L仕様まで可能)などの対策品が誕生する事になる。
今までもTRUSTやHKSより2.7L仕様キットは販売されていたのだが、こちらは低速域への対策というよりは、高回転仕様のエンジンで、ビッグタービンを回すための仕様(トルク重視ではなくレスポンス重視)となっていたため、毛色は違う商品になっている。