概要
今を遡る事、30数年前。1981年9月23日。この日は新日本プロレスの「ブラディ・ファイト・シリーズ」最終戦だった。試合が行われたのは、田園コロシアム。この日は、新日―いや、プロレスファンにとって、忘れる事の出来ないカードが組まれたのだ。
その日のセミファイナルである「アンドレ・ザ・ジャイアント対スタン・ハンセン」と言う当時の「ガイジン」トップレスラー同志の頂上決戦が行われた。どちらも2m級の巨体、さらに双方「俺がナンバーワンだ」と言う意地とプライドがぶつかりあった、超ド迫力の試合が展開された。さらに、ハンセンがアンドレにボディースラムと言う世界でも数えるほどの快挙を成し遂げ、さらには双方リングアウトになったが、互いが納得しない上にお客さん達もヒートアップ。会場全体が異様な熱気に包まれ、異例の「無制限一本勝負」になだれ込んだ。
結果はアンドレがレフェリーのミスター高橋に対する攻撃の反則負け。だが、ハンセンも興奮冷めやらずというか暴走状態にあり、止めに入った若手のセコンド陣に対し技をお見舞いした。
さらに
この日の興業は他にも「タイガーマスク対エル・ソラール戦における、脱臼事件」や、メインイベントに殴りこんだ「はぐれ国際軍」のラッシャー木村の「こんばんは事件」など、後のプロレスファンが忘れる事の出来ない珍事件も同時に発生していたのである。