概要
保護地域(ホームエリア)は北海道。
2020年現在福岡ソフトバンクホークスと共に本州以外に拠点を置く球団でもある。
現在の親会社は食料品メーカーの日本ハム。球団会社名はチーム名と同じで、通称は「日本ハム」、「日ハム」、「ファイターズ」など。Web上では「ハム」を合体させて俗に「公」と書かれることもある。
チームカラーは明るい青。制帽は黒だったが、2022年度からこちらも明るい青に変更された。北海道移転前のチームカラーはオレンジで、応援旗などにその名残がある。
1軍の本拠地は札幌市豊平区の「札幌ドーム」。イースタン・リーグに所属する2軍は、千葉県鎌ヶ谷市の田園地帯にある「ファイターズ鎌ヶ谷スタジアム」を本拠地としている。1軍と2軍の立地が大きく離れている理由は後述。
- 2003年まで本拠地として使用していた「東京ドーム」を準本拠地としており、主催試合を年間数試合開催。
- 2023年をめどに、1軍本拠地を新球場「エスコンフィールドHOKKAIDO」(北広島市)へ移転する予定であることが球団から発表されている。
チームの起源は1946年に東京都を拠点として発足したセネタースに始まる。その後東京急行電鉄資本の東急フライヤーズ、急映フライヤーズ、(再び)東急フライヤーズ、映画会社東映資本の東映フライヤーズ、不動産会社日拓ホーム資本の日拓ホームフライヤーズと、親会社とチーム名を変えている。
73年オフに日本ハムが買収し日本ハムファイターズに変更。そして2004年には本拠地が北海道の札幌に完全移転し、現在のチーム名となった。
これまでに7回のリーグ優勝と3回の日本シリーズ制覇を達成している。
球団史
本拠地北海道移転前の球団史については、東急フライヤーズ、東映フライヤーズ、日拓ホームフライヤーズ、日本ハムファイターズの個別記事を参照。
北海道移転と「新庄劇場」~ヒルマン監督時代~
2004年シーズンより、本拠地をそれまでの東京ドームから札幌ドームへ移転。これにより北海道に初めてプロ野球チームが誕生することになった。
ただし移転したのは1軍だけで、鎌ヶ谷にあった2軍はそのまま残した。これは当時楽天イーグルスが存在しなかったため、1チームだけ遠方からの参加になると選手や他球団の負担が増大してしまうこと、北海道ではその気候上秋から冬にかけて屋外の練習を行うのが困難であり、その期間での練習が可能な屋内施設の建設には用地の確保を含め1軍移転時を上回りかねない程の時間や経費を要することが予想されたことなどが要因として挙げられている。
選手達は北海道移転と同時に、ペナント争いに加え「不人気球団ファイターズを北海道に根付かせる」というもう一つの戦いを開始する事となる。当時北海道は地方遠征の一環として多く試合を行っていた読売ジャイアンツのファンが多く、ファイターズの知名度は皆無に等しい状態であった。
そんな中、阪神時代に明るいキャラクターで人気を誇っていた新庄剛志がMLBから復帰、登録名「SHINJO」としてチームに加入した。彼の様々なパフォーマンスは「新庄劇場」として報じられ、ファイターズは前年までとは比べ物にならないほどメディアに取り上げられるようになった。その新庄は入団時、「札幌ドームを満員にする」「チームを日本一にする」という2つの目標を掲げた。
移転1年目の2004年は3位。横山道哉が最多セーブ、フェルナンド・セギノールが本塁打王に輝く。また、SHINJOの「幻の逆転サヨナラ満塁ホームラン転じてサヨナラヒット」が飛び出した。そしてそのオフ、ヤクルトスワローズからFA移籍で稲葉篤紀(球団初のFA獲得)を、ドラフト1位でダルビッシュ有を獲得。しかし、2005年は稲葉を筆頭に打線が深刻な不振に悩まされ5位に終わる。
翌2006年はシーズン始めに新庄が引退宣言という衝撃に見舞われながらも、攻撃力だけでなく守備力・投手力でも圧倒的な力を見せ25年振り3度目の優勝。その野球は「確実に1点を取って守り切る野球」「森本・新庄・稲葉はプロ野球歴代屈指の名外野陣」と謳われた。そして日本シリーズでも中日ドラゴンズを破り44年ぶり(球団名が「ファイターズ」となってからは初)の日本一を達成。新庄は現役最後の花道を見事に飾り、「満員の札幌ドームで日本一」という目標も達成させた。オフに小笠原が巨人にFA移籍。
2007年は前年の「確実に1点を取って守り切る」がより徹底されて2連覇を飾るものの、再び中日との顔合わせになった日本シリーズでは1勝3敗で迎えた第5戦で山井大介、岩瀬仁紀の前に完全継投を喫して敗れる。オフにこの年2000本安打を達成した東京時代からの功労者で「ミスターファイターズ」こと田中幸雄が引退し、ドラフトで中田翔を獲得。田中の背番号6は中田に引き継がれた。また、あの多田野数人が入ったのもこの年(当時は高校生と大学社会人ドラフトが別だったため、両者ともドラ1)。そしてこの年トレイ・ヒルマンは退任。
梨田監督時代
2008年からはかつて近鉄バファローズでいてまえ打線を率いた梨田昌孝が監督に就任。1年目は怪我人続出による貧打に悩まされ3位、翌2009年は優勝を飾る。この年は武田勝、ダルビッシュしかまともにいなかった先発陣を林昌範、江尻慎太郎、宮西尚生、武田久、菊地和正ら強力リリーフ陣ががっちりカバー。さらに大野奨太、二岡智宏の入団と糸井嘉男の大ブレイク、そして金子の打棒の爆発もチームに勢いを与えた。日本シリーズでは再び巨人の前に敗れる。
余談だが、初代オーナー・大社義規氏が同年殿堂入りしたことで、1981年の優勝に際して氏が胴上げされた時に着用していた背番号100が球団初の永久欠番となった。
2010年は榊原諒が新人王、小谷野が打点王に輝く活躍を見せ、陽岱鋼の覚醒もあったが序盤の低迷もありチームは4位。オフに建山義紀がメジャー移籍を目指し、森本がFA移籍で横浜ベイスターズへと移籍した。2011年は投手陣が圧倒的な力を見せるものの梨田の退任報道が出ると一気に打線が機能不全に陥った結果2位となる。梨田の後任には栗山英樹が就任した。
栗山監督と「二刀流」大谷翔平
栗山監督1年目の2012年は吉川光夫が力を増し、ハンカチ王子・斎藤佑樹や武田勝とともにリリーフ不調の穴を埋め、リリーフも後半戦から怒涛の勢いで登板し続けた増井浩俊が活躍、多田野や中村勝、谷元圭介が斎藤の抜けたローテを埋め、打線も稲葉や鶴岡が大車輪の活躍を見せ3年ぶりの優勝を飾り、絶好調のまま迎えた日本シリーズでは巨人の前に三度敗れる。オフに糸井が契約で揉め、年明けに糸井は八木智哉共々トレードでオリックスへ放出。木佐貫洋・大引啓次・赤田将吾を獲得した。
そして同年オフ、メジャー挑戦を表明していた大谷翔平をドラフトで強行指名。「投手と打者の『二刀流』を目指す」という栗山監督の説得に押され入団が決定した。
2013年はその大谷翔平が大いに注目され、ミチェル・アブレイユのホームラン王獲得や陽の盗塁王獲得という明るい話題もあったものの、糸井やメジャー挑戦の田中賢介らの穴を埋められず、また主力選手の多くが不振やけがに苦しみ、結果として北海道移転後では初の最下位に転落してしまった(また、9年目で初めて東北楽天ゴールデンイーグルスより下の順位(楽天1位、日本ハム6位)になった)。オフには正捕手・鶴岡がFA宣言してソフトバンクに移籍。
2014年は名参謀・白井が復帰し、鶴岡の穴を大野が埋めたものの主力が軒並み揃って不振、熱い優勝争いを繰り広げたソフトバンクとオリックスの上位2チームに大きく離された3位。この年をもって稲葉と金子誠が引退し、オフに大リーグから田中賢介が復帰した。しかし、小谷野と大引はFA宣言しそれぞれオリックス、ヤクルトに移籍。ドラフトでは有原航平を1位指名し競合の末獲得。
2015年は大谷の開幕7連勝、吉川の復活、増井の球団新記録39セーブ達成と投手陣を中心に明るい話題があったもののソフトバンクの絶好調の前に及ばず2位。
2016年はエース・大谷、有原が二本柱となって投手陣を支えたが吉川の不振もあって開幕ダッシュに失敗、ソフトバンクに最大11.5ゲーム差をつけられる。しかし、6月19日から7月11日まで怒涛の15連勝と勢いづき猛追。
7月、エース・大谷が指のマメをつぶして投げられなくなってしまい打者に専念することに。打者としても非凡な大谷はそのまま打者に専念すると22本塁打、67打点を挙げるポイントゲッターとして働き、また西川遥輝、陽、中田、39本塁打を放ったブランドン・レアードら攻撃陣の活躍、リリーフ登板が多かった3年目の高梨裕稔、クローザーを務めていた増井が先発に転向してみごとに大谷の穴を埋めることに成功。独走していたソフトバンクを捉えてリーグ優勝を決めた。日本シリーズにてセ・リーグを制した広島東洋カープを破り、2006年以来の日本一を達成。
二刀流去りし後の栗山長期政権
2016年シーズン終了後、巨人との間で吉川&石川慎吾と大田泰示&公文克彦の交換トレードが成立。
2017年はシーズン開幕早々、大谷が太もも肉離れにより長期離脱したほか多くの主力選手も故障・不振により離脱、WBC日本代表としてアメリカに遠征した中田や中継ぎとしてチームを支えた谷元の不振、打率4割を超えていた近藤健介が椎間板ヘルニアによりシーズン終了間際まで長期離脱。大谷・増井・高梨ら先発投手陣もいなくなるなどした結果7月の成績は4勝18敗という大不振に陥り、5位でシーズンを終えた。
フロントはシーズン中に大黒柱・大谷翔平をポスティングシステムにより大リーグへ送り出すことを容認することを発表。シーズン終了後、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムへの移籍が決定した。また長年正捕手をつとめた大野奨太がFAで中日に移籍したことにより、かつてチームに在籍していた鶴岡慎也・實松一成の両ベテラン捕手を獲得。同じく長年にわたり先発・中継ぎ・抑えとして投手の柱の1人であった増井もFAでオリックスへ移籍。また、ドラフトでは高校通算111本塁打を記録した早稲田実業の主砲・清宮幸太郎を1位指名、7球団競合の末に交渉権を獲得し入団する。
2018年は前半戦を2位で折り返すが、後半戦は破竹の勢いの西武、追い上げ体制に入ったソフトバンクの勢いに飲まれ3位に終わった。なお、期待のルーキー清宮は7本塁打だった。クライマックスシリーズはシーズンの勢いそのままのソフトバンクに敗れ去り、1stステージにて散った。ドラフトでは100回目の夏の甲子園の決勝で投げあった吉田輝星、柿木蓮らを獲得、またシーズンオフに台湾から王柏融が、またオリックスを自由契約になった金子千尋が加入。
2019年は吉田の本拠地一軍デビュー初勝利。「スギノール緊急来日」など明るい話題が目立ち、前半戦を2位で折り返したが、8月に入り大失速。一時は最下位に沈んだが終盤で巻き返し5位。吉田も2戦目以降対策され打ち込まれてしまった。シーズン終了後、ヘッドコーチ兼打撃コーチとして何と小笠原道大が実に14年ぶりのファイターズへ帰還。
栗山政権末期は若手の伸び悩みが目立つようになった。
2020年は中田翔が打点王、近藤健介が最高出塁率のタイトルを獲得する一方で、投手陣はチーム最多勝が有原航平、ドリュー・バーヘイゲン、上沢直之の8勝止まり、5位でシーズン終了。シーズンオフには有原がポスティングシステムを利用してMLBへ移籍。
栗山監督は元々2020年シーズン終了後退任の意思を示していたが、フロント側の意向で1年間留任した。栗山政権最終年となる2021年は、若手・清宮が1軍出場機会なし、また中田がトラブルを起こしシーズン途中で巨人へトレード移籍。新人・伊藤大海の好投もあったが3年連続のBクラス・5位となった。ハンカチ王子の斎藤らが現役を引退、また小笠原コーチも退団。
「新庄劇場」第2幕、「BIG BOSS」の時代
国際大会で日本代表監督を務めていた稲葉篤紀がフロント入りしゼネラルマネージャー(GM)に就任、また栗山の後任には札幌ドーム黎明期を沸かせた新庄剛志が監督に内定、2022年シーズンより「BIG BOSS」として指揮を執ることに。
2022年にチームロゴとユニフォームを一新。明るい青を基調とした新しいデザインに変更された。
順位の推移
ここでは現在の名称になった2004年以降の順位と監督を記載。
※各年度の太字は日本シリーズ優勝
年 | 順位 | 監督 |
---|---|---|
2004年 | 3位 | トレイ・ヒルマン |
2005年 | 5位 | トレイ・ヒルマン |
2006年 | 1位 | トレイ・ヒルマン |
2007年 | 1位 | トレイ・ヒルマン |
2008年 | 3位 | 梨田昌孝 |
2009年 | 1位 | 梨田昌孝 |
2010年 | 4位 | 梨田昌孝 |
2011年 | 2位 | 梨田昌孝 |
2012年 | 1位 | 栗山英樹 |
2013年 | 6位 | 栗山英樹 |
2014年 | 3位 | 栗山英樹 |
2015年 | 2位 | 栗山英樹 |
2016年 | 1位 | 栗山英樹 |
2017年 | 5位 | 栗山英樹 |
2018年 | 3位 | 栗山英樹 |
2019年 | 5位 | 栗山英樹 |
2020年 | 5位 | 栗山英樹 |
2021年 | 5位 | 栗山英樹 |
フィクション作品において
野球ゲームパワプロシリーズで、矢部明雄がプロ入り後にファイターズに入団した事がある。
選手一覧
(2022年1月23日現在)
監督・コーチ
一軍
背番号 | 名前 | 役職 |
---|---|---|
1 | 新庄剛志 | 監督 |
77 | 林孝哉 | ヘッドコーチ |
89 | 武田勝 | 投手コーチ |
82 | 加藤武治 | 投手コーチ |
83 | 島崎毅 | 投手コーチ |
88 | 金子誠 | 野手総合コーチ兼打撃コーチ |
72 | 山田勝彦 | バッテリーコーチ |
78 | 稲田直人 | 内野守備走塁コーチ |
76 | 紺田敏正 | 外野守備走塁コーチ |
二軍
背番号 | 名前 | 役職 |
---|---|---|
92 | 木田優夫 | 監督 |
73 | 多田野数人 | 投手コーチ |
90 | 渡辺浩司 | 打撃コーチ |
74 | 矢野謙次 | 打撃コーチ |
75 | 山中潔 | バッテリーコーチ |
71 | 飯山裕志 | 内野守備走塁コーチ |
87 | 上田佳範 | 外野守備走塁コーチ |
84 | 伊藤剛 | 育成コーディネーター兼投手コーチ |
85 | 川名慎一 | 育成コーチ |
所属選手
投手
背番号 | 名前 | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|
13 | 生田目翼 | 右 | 右 | |
14 | 加藤貴之 | 左 | 左 | |
15 | 上沢直之 | 右 | 右 | |
17 | 伊藤大海 | 右 | 左 | |
18 | 吉田輝星 | 右 | 右 | |
19 | 金子千尋 | 右 | 左 | 「金子弌大」から登録名変更 |
20 | 上原健太 | 左 | 左 | |
22 | 杉浦稔大 | 右 | 右 | 57から背番号変更 |
25 | 宮西尚生 | 左 | 左 | |
28 | 河野竜生 | 左 | 左 | |
29 | 井口和朋 | 右 | 右 | |
33 | 立野和明 | 右 | 右 | |
34 | 堀瑞輝 | 左 | 左 | |
35 | 西村天裕 | 右 | 右 | |
37 | 柿木蓮 | 右 | 右 | |
40 | 福田俊 | 左 | 左 | |
41 | ブライアン・ロドリゲス | 右 | 右 | |
47 | 鈴木健矢 | 右 | 左 | |
51 | 石川直也 | 右 | 右 | |
52 | 池田隆英 | 右 | 右 | |
54 | 玉井大翔 | 右 | 右 | |
58 | 谷川昌希 | 右 | 右 | |
59 | 根本悠楓 | 左 | 左 | |
62 | 望月大希 | 右 | 右 | |
63 | 北浦竜次 | 左 | 左 | |
114 | 松本遼大 | 右 | 右 | 育成選手 |
115 | 齊藤伸治 | 右 | 右 | 育成選手 |
捕手
内野手
背番号 | 名前 | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|
2 | 杉谷拳士 | 右 | 両 | |
9 | 中島卓也 | 右 | 左 | |
21 | 清宮幸太郎 | 右 | 左 | |
23 | 渡邉諒 | 右 | 右 | |
24 | 野村佑希 | 右 | 右 | |
31 | 高濱祐仁 | 右 | 右 | 91から背番号変更 |
32 | 谷内亮太 | 右 | 右 | |
38 | 石井一成 | 右 | 左 | |
48 | 上野響平 | 右 | 右 | |
49 | 佐藤龍世 | 右 | 右 | |
56 | 細川凌平 | 右 | 左 |
外野手
過去に所属した選手(OB)
主な選手と背番号
1.森本稀哲
1.陽岱鋼
6.小谷野栄一
7.坪井智哉
7.糸井嘉男(阪神タイガース)
8.片岡篤史
10.張本勲
11.ダルビッシュ有(テキサス・レンジャーズ)
11.大谷翔平(ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)
16.金村曉
18.岩本勉(解説者、タレント)
19.マイケル・トンキン
20.マイケル・クロッタ
22.建山義紀(解説者)
23.二岡智宏
29.八木智哉
29.木佐貫洋
41.稲葉篤紀(球団GM)
43.星野八千穂(打撃投手)
44.鵜久森淳志
65.多田野数人
66.大嶋匠
外国人選手
あ行
か行
さ行
新庄剛志(SHINJO)
た行
な行
は行
ま行
や行
わ行
永久欠番
100.大社義規(日本ハム球団の初代オーナー)
マスコット
- B・B(ブリスキー・ザ・ベアー):2017年までメインマスコット
- フレップ・ザ・フォックス:B・Bの後任
- カビー(カビー・ザ・ベアー):2軍球場でのマスコット
- ポリーポラリス
- ファイティー:05年に完全引退
球団歌
現在の球団歌は『ファイターズ讃歌』である。制定は日本ハムファイターズ誕生と同年の1974年で、パ・リーグ所属6球団の中で最も古い。ホークス等と異なり、球団移転時においても球団歌の新設や改定を行っていない。
2022年現在の歌唱担当は上杉周大。本拠地での試合の7回裏攻撃前に生歌を披露することがある。
関連項目
伊集院光:東京時代からの大の日ハムファン。
NACS:北海道出身のお笑いユニット。日ハムファン。
雪ミク:北海道応援キャラクター。上記『ファイターズ讃歌』を球場で歌うことがある。
- セネタース:1946年
- 東急フライヤーズ:1947年
- 急映フライヤーズ:1948年
- 東急フライヤーズ:1949年~1953年
- 東映フライヤーズ:1954年~1972年
- 日拓ホームフライヤーズ:1973年
- 日本ハムファイターズ:1974年~2003年
- 北海道日本ハムファイターズ:2004年~