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原田左之助の編集履歴

2014-03-06 14:53:51 バージョン

原田左之助

はらださのすけ

新選組十番隊組長。

概要

1840年~1868年7月6日

伊予松山藩の武家奉公人だったが、のちに出奔。試衛館以来の生え抜き隊士で十番組長となる。

槍の名手として知られた。副長の土方歳三から、厚い信頼を受けたという。

坂本龍馬暗殺(近江屋事件)の下手人として疑われた。(暗殺現場に落ちていた鞘を伊東甲子太郎が原田のものと証言など)しかし、実際は龍馬暗殺と新選組とは関係がなかったといわれている。

鳥羽伏見の戦い、甲陽鎮撫隊まで新撰組として戦い、永倉新八と新撰組を脱退。

彼と共に靖兵隊を結成する。だが、江戸に戻って彰義隊に加入。

上野戦争の際に負傷し、その傷がもとで慶応4年5月17日に死亡したとされる。


人物

短気な人物であったようで、手が出ることが多かった。

中間時代、上官に当たる武士と喧嘩をし腹を切って見せた。命に別状は無かった。

その傷から、「死損ね左之助」というあだ名がつけられた。

腹に残った一文字の傷を、酒に酔った時は自慢げに見せていたという。愛妻家で、新選組の中では美男子だったといわれている。永倉新八とは特に仲が良かった。

腹にある切腹の傷が左から真一文にあったため、左利きではないか?という説がある。

家族

息子の名は茂。

の名はまさ(おけい)は昭和5年まで生き、沢山の孫に見守られて亡くなったとされる。


薄桜鬼における原田左之助

塗らせていただきました!【左之さん】


CV:遊佐浩二

新撰組十番隊組長。

喧嘩っ早く口も悪いが、人情に厚く義理堅い一面がある。

刀より槍を得意としている。

藤堂平助からは「左之さん」と呼ばれている。


関連イラスト

三馬鹿!5月17日


関連タグ

薄桜鬼 永倉新八 藤堂平助 原千(雪村千鶴とのカップリングタグ)

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