ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
新垣渚の編集履歴2014/08/28 11:33:56 版
編集内容:[[2014年]]シーズン途中に[[山中浩史]]とともに[[東京ヤクルトスワローズ]]の[[川島慶三]]、[[日高亮]]とのトレードでヤクルトに移籍した。

概要

沖縄県出身。沖縄水産時代に甲子園に出場、151km/hをマーク。ドラフトではオリックス・ブルーウェーブに1位指名されるが拒否。この時新垣は「ダイエー以外なら進学」と決めており、オリックススカウトの三輪田勝利氏を門前払いしていた。球団と新垣の板挟みにあった三輪田はその後自殺。それでも新垣は入団拒否を徹底的に貫いて九州共立大学へ進学している。

九州共立大では大学球界を代表する右腕として活躍。2002年ドラフトで満を持して福岡ダイエーに入団している。

プロ入り後は新人ながら先発ローテーションに定着し8勝をマーク。以降ホークスの先発ローテーションの一角として活躍を見せ、2004年には最多奪三振のタイトルをマークしている。2006年までの4年間では42勝をマークしている。

しかし2007年に突如制球力が悪化。25暴投をマークし当時の王貞治監督などからは暴投王と呼ばれるうえ、そのあまりの多さから2ちゃんねるならびになんJでは暴投=ARAKAKIの図式が定着してしまった。翌2008年も相変わらずで、8月20日の埼玉西武ライオンズ戦では1イニング3暴投、1試合5暴投を記録してしまう。

2009年はわずか4試合の登板に終わる。2010年から2011年にかけては肩と腰の故障で丸2年間一軍登板なしに終わった。

2012年は晴れて復活。4月1日のオリックス・バファローズ戦では1273日ぶりの勝利を無四球完投で飾った。

2014年シーズン途中に山中浩史とともに東京ヤクルトスワローズ川島慶三日高亮とのトレードでヤクルトに移籍した。

関連記事

新垣渚の編集履歴2014/08/28 11:33:56 版
編集内容:[[2014年]]シーズン途中に[[山中浩史]]とともに[[東京ヤクルトスワローズ]]の[[川島慶三]]、[[日高亮]]とのトレードでヤクルトに移籍した。
新垣渚の編集履歴2014/08/28 11:33:56 版