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新垣渚の編集履歴

2022-11-11 22:58:42 バージョン

新垣渚

あらかきなぎさ

沖縄県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。

概要

沖縄県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。名字はあらきではなく、あらきと読む。

2004年に奪三振王を獲得するなどホークスの主力選手として活躍した一方、2007年には25暴投を記録しシーズン最多暴投記録を更新した。


所属
出身沖縄県那覇市
生年月日1980年5月9日
身長・体重190cm、83kg
投球・打撃右投右打
守備位置投手
プロ入り2002年自由獲得枠

プロ入り前

沖縄水産高校時代に甲子園に3度出場。大会史上最速(当時)となる151km/hをマークした。甲子園での活躍もあり、ドラフト1位候補の一人として見られていたが、ダイエー以外の球団が交渉権を得た場合、九州共立大学へ進学することを明言していた。

しかしながら、ドラフトではダイエーに加えて、オリックス・ブルーウェーブが強行指名。抽選の結果オリックスが交渉権を獲得したものの、新垣は入団拒否を表明。

交渉のために新垣の実家を訪れたオリックス編成部長の三輪田勝利氏を門前払いするなど、交渉は難航し...


1998年11月27日、三輪田氏は那覇市内のマンション屋上から転落死。

遺書は発見されなかったが、遺体発見現場の状況や経緯から死因は自殺と断定された。享年53歳。

新垣との交渉が芳しくないことで球団上層部から叱責されるなど、新垣と球団の間で板挟みになったことが自殺に至った一因であるとみられている。

※三輪田氏はスカウトとしてイチローを発掘したことでも知られている。


その後、新垣は公言通り九州共立大学へ進学。リーグ戦通算23勝5敗、防御率1.03と大学球界を代表する右腕として活躍し、2002年ドラフト自由枠で福岡ダイエーに指名され入団を果たした。



プロ入り後

プロ入り後は新人ながら先発ローテーションに定着し8勝をマーク。以降ホークスの先発ローテーションの一角として活躍を見せ、2004年には最多奪三振のタイトルをマークしている。2006年までの4年間では42勝をマークしている。


しかし2007年に突如制球力が悪化。25暴投をマークし当時の王貞治監督などからは暴投王と呼ばれるうえ、そのあまりの多さから2ちゃんねるならびになんJでは暴投=ARAKAKIの図式が定着してしまった。翌2008年も相変わらずで、8月20日の埼玉西武ライオンズ戦では1イニング3暴投、1試合5暴投を記録してしまう。


2009年はわずか4試合の登板に終わる。2010年から2011年にかけては肩と腰の故障で丸2年間一軍登板なしに終わった。2012年は晴れて復活。4月1日のオリックス・バファローズ戦では1273日ぶりの勝利を無四球完投で飾った。


2014年シーズン途中に山中浩史とともに東京ヤクルトスワローズ川島慶三日高亮とのトレードでヤクルトに移籍した。1軍の試合に先発2試合、中継ぎ1試合に登板。暴投=ARAKAKIのイメージが強かったからなのか、8月16日の中日ドラゴンズ戦で暴投し、1試合4暴投以上をセ・パ両リーグで記録したのと、3度記録したのがそれぞれ史上初となった。その後も先発の柱として活躍したものの、目立った成績は残せず、2016年オフに戦力外通告を受け現役引退。引退後は古巣福岡ソフトバンクホークスの球団職員として活躍している。


なお、夫人の実姉は元同僚の杉内俊哉夫人ということで義兄弟の間柄となっている。


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