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編集者:成田無頼庵
編集内容:地方ローカルのプロレス番組の記述を追加

概要

日本プロレスの中継番組として、1969年7月2日に放送開始。開始当初の時間は毎週水曜日21:00 - 21:56であった。当初は「NETワールドプロレスリング」と局名を冠していた。

日本プロレス時代の中継では先行する日本テレビ(日テレ)との取り決めがあり、以下の試合は日テレの放送での独占中継とし、NETテレビ(現在のテレビ朝日)では放送してはならないことになっていた

  • ジャイアント馬場坂口征二の両選手に絡む試合
  • インターナショナルヘビー級選手権試合
  • インターナショナルタッグ選手権試合
  • ワールドリーグ公式戦

そこで、アントニオ猪木を番組上でのメインイベンターに抜擢した形で放送した。またその後、坂口の試合とワールドリーグ公式戦はなし崩し的に放映することになった。これが引き金となり、日本プロレスは馬場派と猪木派に二分し、後に分裂の危機に立たされることとなった。

猪木「追放」の波をモロにかぶり・・・・・・

1971年年末、猪木が様々な事情により日本プロレスを追い出されてしまった。そうなると困ったのがNET。猪木の試合を「NETワールドプロレスリング」の看板としていたためだった。そこで、「猪木がいなくなった分馬場で埋め合わせしてくれ」と日本プロレス側に要求、結果、「NETワールドプロレスリング」に馬場が登場するようになる。だが当然ながら日テレは大激怒、1972年5月12日の放送を最後に日本プロレス中継を取り止めてしまう(その後7月14日まではプロレス中継の再放送を実施)。

金曜8時と新日本の中継

1972年7月28日、日テレでの日本プロレス中継番組が完全に放映を終えた2週間後、同局の「金8枠」(毎週金曜日の20:00 - 20:54)の中継を引き継ぐ形で「NET日本プロレスリング中継」という中継枠が設けられた。結果NETテレビは週2本プロレス中継を抱える事になった。しかし同年9月25日の放送を持って「NETワールドプロレスリング」は終了した。

1973年4月6日、半年ぶりに「ワールドプロレスリング」のタイトルが復活した上で新日本プロレスの中継番組として放送開始(実質再開。また、「NET日本プロレスリング中継」をリニューアルする形でもあった)。猪木の試合が1年4カ月ぶりに全国ネットプロレス中継に復活したと同時に、1972年3月の旗揚げから経営難にあえいでいた新日本プロレスの経営も立て直すことが出来た。逆に、NETに「見捨てられた」格好の日本プロレスは、1972年4月20日に群馬県吉井町(後に高崎市に編入された)で行われた興行を最後に崩壊してしまう。

ゴールデンからの撤退

1987年4月7日に火曜日の20:00からの放送に移行。同時にテコ入れとしてバラエティの要素を加えた『ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング』として番組を新装するが、ファンからは猛反発を受け、10月5日からは再び月曜日の20:00に復帰、「ワールドプロレスリング」のタイトルが復活したうえ番組も元の試合中継のスタイルに戻る。その後は土曜日の16:00 - 16:54→土曜の深夜時間帯に移動。2004年4月には、放送時間が30分に短縮された。

しかしながら、現在でも唯一「地上波で放送している全国ネットのプロレス番組」として健闘している。ただし地方ローカルのプロレス番組では、福岡県ではテレビ西日本フジテレビ系列)が、DRAGON GATEを取り上げた「プロレス新伝説 DRAGON GATE」を不定期に、埼玉県ではテレビ埼玉DDTを取り上げた「DDTプロレス中継 さいたまースラム!」を毎週水曜深夜に、千葉県では千葉テレビが地元のKAIENTAI DOJOを取り上げたプロレスリングTV We are KAIENTAI DOJOを毎週日曜深夜に放送している。(2014年11月時点)

関連番組

ワールドプロレスリング完全版、クラシックス(テレ朝チャンネル1・2)

ワールドプロレスリングLIVE(テレ朝チャンネル2)

ワールドプロレスリング リターンズ(BS朝日)

ワールドプロレスリングNOTTV(NOTTV)

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編集者:成田無頼庵
編集内容:地方ローカルのプロレス番組の記述を追加