ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

スリガオ海峡海戦の編集履歴

2014-12-20 15:08:46 バージョン

スリガオ海峡海戦

すりがおかいきょうかいせん

スリガオ海峡海戦とは、1944年10月25日にレイテ沖海戦の中で発生した戦いである。

概要

レイテ沖海戦の流れは、該当記事を参照。


西村祥治中将指揮の山城扶桑を主力とする西村艦隊は、北方からレイテ湾に突入する栗田艦隊と呼応して南のスリガオ海峡から突入する使命を受けて進撃していた。途中アメリカ艦載機の攻撃を受けるが敵の目が栗田艦隊に向いていたため、たいした被害もなく航行を続けていた。


しかし、スリガオ海峡には真珠湾で撃沈されたのち復活をとげたアメリカ旧式戦艦部隊が展開しており、偵察およびレーダーにより西村艦隊の動向を把握、鉄壁の迎撃態勢を敷いていた。

栗田艦隊の現在の状況から同時突入が不可能と知った西村中将は自艦隊の状況を第二艦隊司令長官栗田健男中将に報告したが栗田からは何も指示がなく、やむなく敵艦隊の待ち受ける夜間のスリガオ海峡に単独突入した。3時28分頃、戦艦扶桑がアメリカ駆逐艦から受けた4本の魚雷による損害で弾薬庫に引火し大爆発を起こして船体が分断して前後が漂流。駆逐艦満潮ら3隻も被雷航行不能ののち沈没。西村艦隊は損害を省みず突進するも3時51分、有利な陣形を敷いて待ち構えていたオルデンドルフ少将が指揮するメリーランド以下のアメリカ旧式戦艦部隊からレーダー管制の猛砲撃を受け、戦艦山城は弾薬庫引火の大爆発で艦橋が崩落。4時19分に沈没した。わずか数十分で艦隊最後尾にいた駆逐艦時雨と大破状態の最上を残して西村艦隊は全滅し西村中将は戦死。沈没した艦の乗組員の生存者はほんのわずかな人数だった。


西村艦隊の後続である志摩清英中将率いる志摩艦隊は4時33分、スリガオ海峡に突入を開始したが軽巡阿武隈が魚雷艇の攻撃で被雷。さらに先ほどの戦闘で大破して洋上停止中の敵艦と誤認された最上を回避するべく転舵した旗艦那智が実際には微速で移動していた最上と衝突した。志摩中将は撤退を決意して艦隊は海峡を脱出し阿武隈に駆逐艦を、最上に駆逐艦を護衛につけてコロン湾に向かわせるが空襲受け阿武隈は沈没、最上は総員退艦後に曙の魚雷で処分される。サンベルナルジノ海峡を抜けてサマール島沖を航行していた栗田艦隊の旗艦である戦艦大和は5時32分、西村艦隊の全滅を知る。志摩艦隊を待たずに単独突入を決意した西村中将の評価は分かれているが後に小沢治三郎中将は「レイテで本当に真剣に戦ったのは西村だけだった。」と評した。

70周忌




関連タグ

太平洋戦争 レイテ沖海戦 エンガノ岬沖海戦 山城 扶桑 最上 満潮 時雨

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました