ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

羽黒(重巡洋艦)の編集履歴

2015-02-08 02:47:55 バージョン

羽黒(重巡洋艦)

はぐろ

日本海軍の重巡洋艦の1隻。

概要

羽黒とは、重巡洋艦の4番艦。そして太平洋戦争の最初から最後まで激闘を繰り広げた武勲艦にして幸運艦である。大正12年度艦艇補充計画に則り1925年3月16日に起工、1929年4月25日に竣工した。就役後は第二艦隊第四戦隊の所属となった。


太平洋戦争開戦時は同艦隊の第五戦隊に所属し、フィリピン攻略に参加。スラバヤ沖海戦では、イギリス海軍の重巡「エクセター」に直撃弾を当てるなどの活躍をする(この海戦で「エクセター」は沈没したが、乗組員798名は駆逐艦「」と「」に救助されオランダ海軍の病院船「オプテンノート」に引き渡された)。

 

ブーゲンビル島沖海戦では、アメリカ海軍に先手を打たれて混乱する艦隊の中で真っ先に反撃し、更に日本海軍初めての照明弾砲撃を敢行し、レーダー管制射撃による正確な砲撃戦を駆使して終始優勢だったアメリカ海軍に対して互角に渡り合った。このときのアメリカ軍人が後に記した手記には、羽黒と妙高の精密な砲撃で立て続けに被弾したことから「日本軍もレーダーを使用しているに違いない」と誤認していたことが記載されている。


その後は南方方面の激戦に参加しており、サマール沖海戦では栗田艦隊の先陣をきって突撃し金剛とともにアメリカ海軍の護衛空母「ガンビア・ベイ」を撃沈している。この戦闘で羽黒は主砲の砲弾を9割以上も発射して帝国海軍の記録を塗り替えている。また、米軍機の攻撃で2番砲塔が損傷したことで使用不可能となり、それは最後まで修復されることはなかった。


レイテ海戦後は数少ない戦闘可能な軍艦として、シンガポールを拠点に姉妹艦足柄駆逐艦「神風」とともに活動している。陸軍からの要請でアンダマン諸島への輸送任務に従事中、1945年5月17日午前2時ごろイギリス海軍の駆逐艦5隻に捕捉され交戦。前日に航空機の攻撃を受け、機関部を損傷していたため速力が出せず、また戦闘開始直後の被弾により電源喪失するとともに甲板に満載していた燃料が爆発炎上したことから突破を断念し、煙幕や照明弾を駆使して羽黒を庇おうとしていた駆逐艦「神風」に離脱を命令すると、自身は囮となってそのまま戦闘を続行した。その状態で1時間以上も戦い抜いた末、最終的に魚雷3本が命中し艦首部分から轟沈した。この戦闘は後にペナン沖海戦と呼ばれ、第二次世界大戦で最後の水上戦闘(ただし、1945年7月22日から23日にかけて房総半島野島岬沖で行われた日本海軍輸送部隊とアメリカ海軍駆逐艦隊の戦闘が最後の水上戦闘とするなどの諸説が存在する)となった。

戦死者27人を出しながらも戦線突破に成功した神風は火だるまになりながらも奮戦した羽黒を「阿修羅の如し」と評し、対峙したイギリス海軍指揮官は動力喪失した高角砲台を手動で動かし、沈む瞬間まで戦い抜いたことから「日本海軍の精華」と絶賛したという。生き残った羽黒乗組員が後に記した手記によると、戦闘終了後にイギリス海軍は救助活動を開始し何人かが救助(生きて虜囚の辱めを受けずの教えがあったため、大多数の乗組員は死んだ振りをして救助を無視していたとされる)されている。また、イギリス海軍が撤退した夜明け後に「神風」が救援部隊を率いて戦場に戻り、漂流していた生存者を救助している。


なお沈没した本艦は2003年に海面下66mで着底した状態で発見されたが、違法サルベージ業者によってスクラップ目的で引揚・売却されてしまった。


関連タグ

大日本帝国海軍 日本海軍 重巡洋艦

羽黒


本艦がモデルとなったキャラクター。→羽黒(艦隊これくしょん)

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました