概要
1957年5月10日生まれ、1979年2月2日没。
ファッション関係の専門学校時代からジョニー・ロットンと親しく、彼のバンドのセックスピストルズのライブに頻繁に駆けつけては、他の観客と乱闘していた。
1977年にグレン・マトロックがジョニーとの確執により脱退すると、ジョニーの勧めもあり後任のベーシストとして加入する。
加入前は別のバンドでドラムスを担当したことがあったが、ベースは未経験だった。それでもマネージャーのマルコム・マクラーレンは問題視しなかった。そのためほとんど上達しなかった。
この頃ナンシー・スパンゲンと出会い、交際するが、麻薬の常習者であった彼女はシドをも薬物中毒に落とし込んでしまう。
1978年にジョニーが脱退後、マルコムによって無理やりフランク・シナトラの曲「マイ・ウェイ」を歌わされる。その後ジョニーと和解しバンド結成を計画するが、ナンシーがジョニーに「あなたはドラムでもやってなさい」と横やりを入れたことにジョニーが激怒し破談となる。
やがてシドとナンシーはますます麻薬に溺れるようなり、ナンシーはニューヨークのホテルの浴室で腹を刺されて死んでいるのが発見される。シドは殺人容疑で逮捕されるが、レコード会社が保釈金を支払うかたちで保釈され、翌年麻薬の過剰摂取により死去。
彼の母親は息子を遺言通りにナンシーと同じ墓に入れたいと訴えるがナンシーの遺族に拒否され、彼の遺灰をナンシーの墓に撒いている。なお母親はジョニーのシドに対する罵倒を恨み、1997年に自殺している。