曖昧さ回避
概要
近江国(滋賀県)滋賀郡古市郷(現在の大津市)に生れ、俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。
生年に関しては、一般には神護景雲元年8月18日(西暦767年9月15日)とされるが、天平神護2年(766年)という説も存在する。
12歳のとき近江国分寺に入り、出家して大国師である行表の弟子となり、14歳のとき国分寺僧補欠として11月12日に得度し、名を最澄と改めた。
797年には、桓武天皇の内供奉十禅師も務めている。
804年7月に、通訳に門弟の義真を連れて、空海とおなじく九州を出発し明州に渡り、天台山にて唐代の僧である湛然の弟子、道邃と行満(ぎょうまん)について天台教学を学び、道邃から大乗菩薩戒を受け、翛然(しゅくねん)から禅、順暁から密教を、それぞれ相承した。
帰国後、学んだ教えを伝えるべく『天台宗(天台法華円宗)』を開き、布教活動に努めた。