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献帝の編集履歴

2015-05-09 15:47:39 バージョン

献帝

けんてい

後漢王朝最後の皇帝

姓名:劉協 別名:愍帝(蜀からの諡号)

生没(181~234) 在位(189~220)


概要

後漢14代皇帝で最後の皇帝。父は12代皇帝『霊帝』。

曹操の傀儡時期を経て、曹丕に禅譲し、曹丕・劉備孫権が相次いで皇帝となったことで(漢)が建国され、本格的な三国時代が始まる。


家系

       12  

   王   霊   何

   美━┳━帝━┳━皇

   人 ┃   ┃ 后  

     ┃   ┃ 

     14   13 

     献   少 

     帝   帝 


後漢滅亡

220年に曹操の死去に伴い、曹丕が献帝に禅譲を迫るが、献帝の皇后であり、曹丕の妹でもある曹節が伝国璽を握りしめて拒んだ。

最終的には、曹節が涙を流し伝国璽を投げ付け、ついに禅譲となる。ここに後漢王朝は滅亡する。

献帝と曹節は山陽県にて暮らし、献帝は234年に、曹節は260年に死去した。


禅譲時のできごと・死没者

献帝の禅譲時期は、初期の主要人物が相次いで死去してしまう。

三国の鼎立、そして劉備の死去後は、三国志の後半の始まりに当たるだろう。


219年 定軍山の戦いで劉備軍が勝利。夏侯淵戦死。

    曹操と孫権が同盟。樊城の戦いで呂蒙らが関羽に勝利。

    麦城にて関羽死去。呂蒙病死。

220年 曹操死去。献帝が禅譲し曹丕が魏の皇帝となる。

221年 劉備が蜀漢の皇帝となる。張飛死去。

222年 夷陵の戦いにて呉が蜀に勝利。馬良戦死。

    孫権が魏から独立。(実質的な呉の建国) 蜀と呉が再同盟。

    対呉戦中に張遼病死。

223年 曹仁死去。劉備死去。劉禅が蜀の第2代皇帝に即位。曹彰死去。賈詡死去。




魏晋南北朝の始まりと終わり

後漢の滅亡期に始まる魏晋南北朝時代、そしてその後漢最後の皇帝である献帝。

彼の子孫の劉秋とその家族は、永嘉の乱で漢(後の前趙)軍によって殺され、後漢王朝の血筋は絶えてしまう。

皮肉にも、同じ劉姓で同じ漢を国号としながらも、漢民族の元皇族が異民族の国によって滅ぼされ、この後、華北は様々な異民族が、様々な国を建てる戦乱期に入る。

異民族に反発した漢民族が『冉魏』などを建てた事もあったが、すぐに異民族によって滅ぼされ、再び漢民族が中国を支配するには、魏晋南北朝時代の終焉であるの時代を待たなければならない。

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