概要
- 四文字熟語「紫電清霜」にある清霜。熟語の意味は鋭く光り輝く武器のいかめしさの形容。また、人がすぐれて光り輝き、節操の堅い形容。「清霜」は清らかにきりっとひきしまったものの形容。
- 上記を由来とする大日本帝国海軍の駆逐艦。
- 上記の駆逐艦をモデルとした艦隊これくしょんの駆逐艦娘。
図鑑データ
「どうも!夕雲型の最終艦、清霜です。
到着遅れました、よろしくお願いです!」
うん。概要に任せて!
2014年8月8日のアップデートによって先行実装された。
本実装は2015年6月12日。4-5ボスドロップとして実装された。
CVはコンプティーク2014年10月号で金元寿子である事が明言された。
どお?容姿かっこいい?強い?
膝まである銀色ないし灰色の髪を淡黄色のリボンで後ろで二房にくくり、薄茶色の瞳が特徴。
前髪が顔にかかるくらい長く、特に右のもみあげあたりはは先を切りそろえた状態で胸元くらいまで伸びている。また長波同様に髪の内側が深青色になっている不思議な髪質でもある。
ちなみにアホ毛完備。
服装や艤装は他の夕雲型同様。
ただし他の夕雲型と違って腰の両脇に小さな三式水中爆雷と投射機が装備されており、また煙突につながる肩紐は黄色から黄緑へのグラデーションになっている。
性格?違うの?いいわ!どのみち出撃です!
竹を割ったようなカラっとして気持ちのいい元気娘。
ちょっと頭のネジが緩んでいるところもあり、基本アホの子。なので細かいことは気にしない質。
元気いっぱいでやる気は満ちているのだがそれがから回ることも多く、時報でも大量飲食の直後に激しい運動をしてダウンしてしまうなど、色々頼りない。
戦艦に対して強い憧れを抱いており、強くなればいつかは自分も戦艦になれると信じて疑わない。(悲しいけど、システム上ありえないのよね)
そのためか普段はサバサバした口調だが、戦艦については「な、なれるもん!」と子供っぽく意固地になるところもある。
また戦艦娘たちを「お姉様」と呼んで強く慕っている。
同じく戦艦を目指しているリベッチオに声をかけて友人関係となっており、日々戦艦の強さについて熱く語り合っている模様。
長女である夕雲のことを「夕雲姉さん」と呼んで慕っていると同時に、「夕雲姉さん達にも、負けませんから!」と密かに対抗意識を燃やしている。
ただし史実では、清霜が就役した時期には夕雲は既に戦没していたため面識は無い。
ちなみに霞とは史実の縁から仲良しであり、良く面倒を見てもらっている他、足柄や大淀からもよく気に掛けられているなど、裏表がなく、人懐こいので結構皆から愛されているご様子。
司令官にはかなり好意的で甘えん坊。
夕雲よろしく「ほら、清霜で良かったでしょ?」と自分の魅力をアピールしたり、お触りに関しても「もう、司令官ったら! …お姉様たちには内緒よ? いい?」と意外と合意的。
それらから提督に対してかなり対等でフランク、かつ好意的である様が見て取れる。
性能は守るって、言ったでしょ?
性能は一般的な夕雲型。
夕雲型以外の駆逐艦に比べると一回り高性能だが、誤差範囲内とも言える。
装備では改にすることによって、同時に実装された早霜と違い、強力な対潜装備「三式水中探信儀」を持ってきてくれる。
イベント中は複数隻のドロップも見込めるので、牧場してもいいかもしれない。
関連イラストは完了。ばっちり、ばっちりよ!
司令官?関連タグ見てみる?ん?
- 夕雲型:夕雲、巻雲、風雲、長波、巻波(駆逐艦)、高波、大波(駆逐艦)、清波(駆逐艦)、玉波(駆逐艦)、涼波(駆逐艦)、藤波(駆逐艦)、沖波(駆逐艦)、岸波、朝霜、早霜、秋霜
- 友人:霞(艦隊これくしょん)、リベッチオ
- 憧れの存在:大和(艦隊これくしょん)、武蔵(艦隊これくしょん)、他の戦艦娘
史実
2にある大日本帝国海軍の駆逐艦。
1942年度(マル急計画)に浦賀船渠で建造。1944年(昭和19年)5月15日に竣工、横須賀鎮守府籍となり、第十一水雷戦隊に編入。旗艦「長良」および僚艦「松」とともに横須賀に向かい、そこで「多摩」「木曾」「皐月とともに「伊号作戦」に参加した。
夕雲型駆逐艦、そして甲型駆逐艦としても最後の艦となった。
同年10月18日に捷一号作戦に第二艦隊第三戦隊第二部隊と共に参加。レイテ沖戦にて被弾した戦艦「武蔵」の援護を「利根」とともに担当。だが「武蔵」は空襲によって撃沈され、「清霜」にも一番発射管に直撃弾1発が命中。その後「浜風」と共に「武蔵」の乗員約500名を救助した。ただしこの「武蔵」の乗員は後にマニラの戦いに参加して全滅した。
12月24日にミンドロ島のアメリカ軍に対する殴りこみ作戦「礼号作戦」に参加。
2日後の12月26日21時15分、「清霜」はB-25の爆撃を受け、左舷中部に250キロ爆弾を受け、重油タンクが破壊され左舷の機関は停止。また数分後には右舷の機関も停止し航行不能となった。艦尾が激しく沈下し船体全てから火災が発生した「清霜」は、23時15分に大爆発を起こして北緯12度38分 東経120度43分の地点で沈没した。
第二水雷戦隊司令官木村昌福少将は戦闘終了後に「霞」と「朝霜」と共に救助活動を行い、1時間14分に及ぶ救助作業の末、白石長義司令以下91名が「霞」に、駆逐艦長梶本顗中佐以下167名が「朝霜」に、合計258名が救助された。戦死および行方不明者は84名であったが、行方不明者のうちの5名はアメリカ魚雷艇に救助された。