1936年12月10日生まれ、1998年8月22日没、兵庫県[[[神戸市]]北区生まれ、尼崎市出身。
住友学園中、住友工業高、関西大学卒、1959年、大阪タイガース入団、1960年に阪神タイガースに改称、全身を使った特有のフォームはチェコスロバキアの陸上選手、エミール・ザトペックに例え「ザトペック投法」と呼ばれた。
1969年に選手兼任コーチとなり、1970年に選手兼任監督となり、1972年に引退、1988年から1989年に専任監督として再び阪神タイガースの監督を務めた。
1998年8月22日、直腸癌で死去。