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義和団の乱の編集履歴

2016-01-03 19:38:42 バージョン

義和団の乱

ぎわだんのらん

義和団の乱とは、中国大陸の大清帝国末期に起こった動乱である。

中国王朝の一つ、大清帝国清朝末期である1900年におこった争乱である。

『北清事変(ほくしんじへん)』とも呼ばれ、他にも『義和団事件』『義和団事変』『北清事件』『清国事変』などといった名称があり、中国では戦争が起こった年の干支から『庚子事変(こうしじへん)』とも言われる。


山東省で発生し排外活動を行っていた秘密結社『義和団』を、清朝が支持して欧米列強に宣戦布告を宣言したことで発生し、暴徒化した義和団や腐敗した清朝による弾圧に、多くの外国人中国人が巻き込まれた。


この時、北京における諸外国公使館は母国に応援を要請し、各国から連合軍が派兵されたが、清朝義和団の攻撃によって各公使館は完全に孤立してしまう。


中でも日本公使館区は激戦区であったが、籠城戦で指揮を執った柴五郎中佐の下、この地区では日本軍の活躍し、柴中佐も自ら抜刀して敵陣に切り込んでいくなど、勇猛さや優れた指揮官ぶりが他国からも大変大きな称賛を受けた。

また、弾圧を受けた中国人避難民を含む全籠城者三千数百名の避難民を手厚く保護し、食料分配や傷病者の看病などにも細かな配慮を怠らなかった。

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