ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

南北戦争の編集履歴

2016-03-31 15:50:02 バージョン

南北戦争

なんぼくせんそう

南北戦争とは、1861年から1865年にかけて、アメリカ合衆国とアメリカ連合国の間に発生した内戦である。

概要

1861年から1865年までの5年の間、奴隷制維持と自由貿易を主張するアメリカ南部諸州(アメリカ連合国)と、奴隷制廃止と保護貿易を主張するアメリカ北部諸州(アメリカ合衆国)の間で発生した内戦。アメリカで内戦があったのはあとにも先にもこれっきりなので、アメリカ国内では定冠詞を付けて、The Civil Warと呼ばれる。(世界史などで他の内戦と区別する時はAmerican Civil Warとも表記する)


1861年のサムター要塞の戦いで始まり、当初は優秀な指揮官を数多く抱えた南軍が優勢を保ち、一時は北部の首都ワシントンD.C.まで迫った。しかし、次第に国力の勝る北軍に軍配が傾き、1863年のゲティスバーグの戦いを転機に北軍の優勢が決定的な物となる。そして1865年に南軍首都リッチモンドの防衛部隊であった北バージニア軍司令官にして南軍総司令官、ロバート・E・リーが北軍に対して降伏。北部=現在のアメリカ合衆国が勝利して南北戦争は終結した。


戦死者数は南北あわせて約62万人。これは、現在までにアメリカが参加した全ての戦争の中で最多である。


背景

南北戦争の原因についてたどるには、少なくとも時計の針を19世紀初頭まで巻き戻さなければならない。

特にポイントとなる出来事は、①ルイジアナ買収と米英戦争②対メキシコ戦争の2つである。


ナポレオン戦争とアメリカ合衆国

この時のヨーロッパはナポレオン戦争の真っ最中であり、アメリカは莫大な戦費により財政難にあえぐフランスから仏領ルイジアナを購入(ルイジアナ買収)。

同時に大陸での戦争にかかりっきりで余力のないイギリスに火事場泥棒的に宣戦し英領カナダへ侵攻したが、英加連合軍の必死の抵抗により攻勢は頓挫。結果的に何も得られるものが無いまま停戦する事になった(米英戦争)。


実は北部の自由州と南部の奴隷州の対立は独立から間もない18世紀の終わり頃から存在していたが、当時の州の数は南北でほぼ同数だったため、議会(上院)での勢力は拮抗していた。しかし、ルイジアナ買収によって州の数が一気に増加。各州は準州の段階を経て州へと昇格するが、この新しい州が奴隷州となるか自由州となるかが議会での大きな争点となっていった。

また、米英戦争により英国製の工業製品を輸入できなくなったアメリカでは北部で工業が発展し始め、アメリカでも屈指の工業地帯へと成長していった。これにより北部では奴隷よりも通常の労働者の需要が高まり、北部で反奴隷制が主張される一因ともなった。


テキサスとカリフォルニア、二つの共和国

ナポレオン戦争の終結から約20年後の1836年。当時メキシコ共和国の領土であったテキサスの分離独立を目論んだアメリカ人入植者(テクシャン)がテキサス共和国を建国。現在でも有名なアラモの戦いなどを経て独立を勝ち取り、それから9年後の1845年にアメリカに併合された。

その翌年、米国の「侵略的」行動に以前から憤慨してしたメキシコとの間に米墨戦争が勃発。その最中にまたもやアメリカ人入植者によってカリフォルニア共和国が建国される。しかし、太平洋地域への貿易港を欲していたアメリカの進撃により、わずか3週間でアメリカ合衆国に併合された。


テキサスとカリフォルニア、新たに増えた二つの広大で豊かな領土は再び論争の種となり、1850年協定{1}によって最終的にはテキサスは奴隷州に、カリフォルニアは自由州となる。

この事例に加え、1820年に成立したミズーリ妥協{2}や1850年協定の4年後に制定されたカンザス・ネブラスカ法{3}といった政治上の混乱から党内で意見が分裂し、解散に至った連邦党、ホイッグ党などの当時の大政党の一部が、奴隷制反対を掲げて新たに発足した共和党に合流。1860年、ついに同党出身のエイブラハム・リンカーンが大統領に当選。

これにより、これまでアメリカ上院において辛うじて均衡を保っていた奴隷制維持派の少数派化は確実となり、ついに1860年12月、サウスカロライナ州が合衆国からの脱退を宣言、他の南部諸州もこれに追随する。


そして翌年3月。リンカーンが大統領に就任して間もないころ、サウスカロライナ州に位置するサムター要塞で砲撃戦が発生する。


経過

1861年―アマチュアの戦争



1862年―軍の組織化



1863年―南部の最高到達点



1864年―グラントの南部侵攻



1865年―アポマトックス


逸話

日本との関わり

一見日本とは関係ないように見えるが、実は日本の歴史にも間接的にだが大きく関わってる


時代を見れば分かる通り、日本では江戸時代の末期、幕末であり、南北戦争で使われた、もしくは両軍が武器製造メーカーに発注して余った兵器が日本に流れ込み(当時、大量の兵器需要が求められるような戦争をしていたのは日本ぐらいで、中古兵器販売のメインターゲットとなった)、薩長、幕府問わず銃火器の近代化が推し進められ、戊辰戦争で大きく活用されている。例えばガトリング砲は南北戦争時に発明された兵器だが、大々的に活用されたのは戊辰戦争においてである。


一方で鎖国状態の日本にやってきて、武力で最初に開国させたアメリカは南北戦争の混乱のため、日本にまで手が回せない状態となり、結果として、四斤山砲やエンピール銃といったフランス・イギリス製兵器も大量に流入した。


関連項目

南北戦争に関連する人物

北部(アメリカ合衆国)

エイブラハム・リンカーン ユリシーズ・S・グラント ウィリアム・シャーマン

ジョージ・B・マクレラン ジョージ・A・カスター フレデリック・ダグラス

南部(アメリカ連合国)

ジェファーソン・デイヴィス ロバート・E・リー ストーンウォール・ジャクソン

ジョージ・ピケット ジェブ・スチュアート

南北戦争に関連する兵器

ミニエー銃 ナポレオン砲 ガトリング砲

スペンサー銃 ヘンリー銃

南北戦争を扱った作品

ゲティスバーグ グローリー ゴッド&ジェネラル

その他

戊辰戦争…南北戦争の中古武器が大量に輸出されて使用された


脚注

  • {1}カリフォルニア・テキサスにおける奴隷制の扱い、ワシントンDCでの奴隷制の禁止などを定めた5つの法律の総称
  • {2}ミズーリ州を除く北緯36度30分以北の西部諸準州が州となる際、奴隷制を禁じる協定
  • {3}前記の協定に反し、奴隷州となるか自由州となるかは準州民が独自に決めると定めた法律
問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました