平安時代の末期から鎌倉時代の初期の禅僧。日本の仏教宗派の一つ『臨済宗』の開祖。
永治元年4月20日(または一説に25日)に、備中国賀陽郡(現:岡山県加賀郡吉備中央町)吉備津神社の権禰宜(神職)である賀陽貞遠の子として生まれた。
14歳で比叡山延暦寺に出家し、以後は吉備安養寺・伯耆大山寺などの天台宗の寺院で教学と密教を学び、行法にも優れ、自分の坊号(僧侶が生活する居間・建物)を名称を冠した天台密教葉上流を独自に興した。
仁安3年において、政治抗争の道具として形骸化しして堕落していた天台宗を立て直すため、平氏からの庇護を得て大陸へ留学し、当時の南宋では禅宗が盛んだったため、日本の仏教を立て直すことに活用すべく、禅を学ぶこととなった。