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ラヴクラフト

らゔくらふと

ラヴクラフト(ハワード・フィリップス・ラヴクラフト/Howard Phillips Lovecraft)は20世紀初頭に活躍したアメリカの作家。

1890年8月20日生まれ。ロードアイランド州プロビデンス出身。

1937年3月15日に腸癌のため死去。享年46歳。

目元に濃い影が差した写真が有名で、その写りから陰鬱な表情で描かれることが多いが、髪を整えて眼鏡を掛けている姿の写真もあり、こちらは明るく知的な印象を受ける。

友人とともに旅行に行った際の写真では楽しげに微笑んでいる姿も見られる。

概要

「宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)」などと呼ばれるSF的なホラー小説が有名。

彼の死後に友人のオーガスト・ダーレスによってラヴクラフトの残した作品群は『クトゥルフ神話』として体系化された。これらは今日までのオカルト、ホラー、ファンタジー作品に多大な影響を与え、また現在も発展し続けている。

「宇宙的恐怖」の概念の定義は今日に至るまで議論が絶えないが、ラヴクラフト自身もそれに答える際の言説が変わることがあったようなので場当たり的なフレーズだったのかもしれないとも言われている。

ラヴクラフトは『私の書く物語はすべて、広い空漠な宇宙においては一般的な人間の法律や興味や感情には何の価値も妥当性もないという前提に立っている』と書いた。

「人間は快適さと真実の両方を求めるかも知れないが、この二つは両立するものではない」

「人間の精神は伸縮の利かない容れ物である。より多くの真理と完全な正気の両方をいれることはできない。一方を多くいれればもう一方は押し出されてしまう」

 彼は、宇宙の基本的な原理は人知では理解しがたく恐ろしいもので、それを目にしただけで狂気や自殺に追いやられるほどであるはずだと考えていた。

「より客観的に突き詰めて考えていけば真理とは一惑星に自然発生した生物に過ぎない人間などに都合のよくできているはずがなく、人間の尊厳を破滅に追いやる事実があったとしても、そこに善も悪もない」という考えを至極妥当なものとして作品を書いている。

 また、ラヴクラフトが活躍したのは科学によって宗教が築いてきた世界観が否定されはじめた時代で、キリスト教的な『救い』の概念が崩壊したとされる。こうした『宇宙の真実を知る恐怖』を再現しているともされる。

オーガスト・ダーレス、リン・カーターなど同時期に活躍した作家と交流があり、ともに「クトゥルフ神話」の設定を互いに使用することで世界観を広げていった。

ラヴクラフト自身やその作品群への強い傾倒を示し、弟子を自称するほど慕ってきた親友ダーレスとは結局一度も直接会うことはなく文通のみの関係であった。

幼いころ父に先立たれ、病身の母とともに孤独な少年時代を送ったという。

彼の孤独な精神や団欒の経験の乏しさは、作中人物の扱いやリアクションの中でたびたび指摘される。

自身もまた幼いころ悪夢を見るなど、父と同じ精神失調を抱えていた。ただ、悪夢については8歳で科学に関心を持つと同時に宗教心を捨てると見なくなったという。

無神論者を自認し、キリスト教を否定するような作品を書いたこともこのことに強い思いがあることが想像できる。

神経症の悪化により勉学や経済に大きな障害があり、青年期はラヴクラフトにとって苦い記憶になった。

18歳の時には趣味であった小説執筆をやめて半ば隠者の様に世間を避けて暮らすようになった。再び小説との関わりを取り戻したのは24歳頃である。添削活動や同人誌に作品を載せることをはじめる。本人はむしろ文章添削のほうを本職と思っており、創作は余暇の仕事と考えていた。32歳頃になってようやく作品が雑誌に採用されるようになっていったが、自己の創作能力には自信をもてず、自らアマチュアであることに甘んじていたため、あまり積極的に創作はしなかった。不採用になると非常に落ち込む性格であったため、今日では傑作とされている作品も自信の欠如のため、編集者に送ることすらしなかったものもある。

神経症がよくなってきたのは30歳頃であるが、その後46歳で若くして没することになる。

生前は文学的に大きく評価されることがなく、なんと生前に出版された単行本は「インスマウスの影」一冊のみであった。主に文章の添削やパルプ雑誌(低俗雑誌)への寄稿で生活をしていたという。とはいえ、パルプ雑誌の読者からはオカルト作家として人気があった。

ラヴクラフトなどよりよほど活躍している多くの作家から熱狂的に支持されていたラヴクラフトだが、所詮オカルト作家だと世間からは侮られていた。結局出版社からの原稿料は僅かなままであり、ラヴクラフト自身もそれでよしとしてしまっていた。1936年に文通相手の一人であり、大親友でもあったロバート・ハワードが自殺したことに衝撃を受け、また同年腸癌との診断を受け、神経症と貧しさからくる栄養失調も重なりに体調を崩し若くしてこの世を去ってしまった。

これを嘆いた弟子であり親友であったオーガスト・ダーレス、ドナルド・ウォンドレイが発起人になり、ラヴクラフトの作品を出版することを目的に「アーカムハウス」を立ち上げることになった。

この活動が実を結び、単なるオカルト作家という評価から、本国ではいっぱしの文豪として語られるようになった。

 ラヴクラフトの死が報じられた後、多くの文豪、文通相手、読者からそれを悔やむ言葉が贈られた。邦訳されていないが、これらのラヴクラフトへの手向けの言葉をまとめた本が出版されており、その分量の多さからもいかに彼が支持されていたかが分かる。

人物像 創作の背景

父を早くに亡くし、母の病とヒステリーとも付き合いながらの少年時代を送った。母が逝去したときは深く哀しんだが、これにより多くのしがらみから解放されたことも事実であった。父の不貞から母が男性性を嫌悪するにいたり、幼少期は女の子の格好をさせられていた。当時の写真が残っており、それはとても愛らしく飽くまで姿だけなら「美少女」と呼んで差し支えない。

散歩が趣味で近所の狭い範囲をよく歩いていたという。しかし、出不精でもありほとんど自分から遠出をするようなことはなかったらしい。経済的に余裕がありまだ健康だった頃は友人と共にバスを利用して取材旅行に行くこともあったというが、ほんの数度だった。

文通魔と呼ばれるほど手紙のやりとりを多くの人と盛んに交わしていたが、そのほとんどとは一度も直接会うことはなかった。

現存するラヴクラフトの手紙は2万通以上確認されており、また一通の枚数も相当なもので、創作や文章添削よりも、生涯文通に多くの時間を費やしていた。

食べ物の好みに関しては海産物を特に嫌っていたとされ、その嫌悪感は説明の出来ないほど激しいものであった。逆に好物はチーズ、チョコレート、アイスクリームで、これは母親が彼の好むものだけを与えたことによる。酒・タバコは嗜まなかった。

邪神クトゥルフとその眷属である海の魔物に豊富な設定があり、同神話の名前を冠するまでになったのはこれに関連する事情もあるだろう。ただし、海産系のクリーチャーの割合自体は全体からすると高くはない。

ちなみに本人は「ハスター神話」を呼称として提案していたという。

また、クラーク・アシュトン・スミスらの作品によって名前を共有する作品群が「神話」らしくなっていったことを訊ねられた際には「『クトゥルフ神話』の名称はダーレスたちの作品であり、自身の作品は体系化しておらず神話ではない。仮に名付けるとするなら私の作品は『ヨグ=ソトース神話』」と答えたとか。

また、自分の作品の設定については自由に扱ってかまわないというスタンスを貫いていたのが、クトゥルフ神話がここまで大きく拡がった要因の一つになった。

自身も既存の小説作品や神話から設定や要素を借り、自分の作品に組み込んでいる。実在する魔術の呪文などを取り入れることでリアリティを演出する手法を好んでいた。

他の作家に「この世の怖ろしい真実を小説という形で残している」という小説家の男を書いていいかと問われたときも快諾している。

 書簡等でも自分の血筋を邪神の家系図に組み込んだり、クトゥルフ神話的存在と関わりのある人物であるように語ったり、他の作家にラヴクラフトの著作を作中でも存在する作品として扱われるたりしている(これはラヴクラフト自身も他の作家に対してやっているが)。これによって自身もまたクトゥルフ神話の中に設定として組み込まれることとなった。これにも弔いの意味があったのかもしれないが、没後の作品において、ミ=ゴの装置によって脳を摘出されたことが示唆されている。

 残したメモ、書簡の中には神々の系図や作品に描かれていない設定なども残されており、友人らとともに作り上げていったこの「お遊び」を相当に楽しんでいた様子がうかがえる。

ラヴクラフトが作成したアザトースから連なる神々の系図の中には、ラヴクラフト本人の祖先も組み込まれている。

 無類の猫好きであることも知られており「自分はバステトの神官だ」と語っていたという証言もある。

 書いた作品から陰鬱なイメージをもたれがちであるが、存外ユーモアのある人格であったことがわかる。

 彼の生きた時代は西洋白人文明の優越性が自明のものとされいた。彼の発言や作品の中にも現代視点で見れば人種差別的傾向がしばしば指摘される。「白人と有色人種が交わるべきではない」といった趣旨の内容を手紙に書いていることもある。

 ただし、ラヴクラフトはそれぞれの民族は性向や習癖が異なっていると述べ、ヒトラーの人種的優越感による政策やユダヤ人弾圧を批判している。時代的に当然の価値観に沿って作品を描いただけだとも言える。時代的背景を考慮せず「悪辣な人種差別主義者であった」などと語るのはフェアではないし、故人に対して大変無礼である。上記の発言に関しても、血筋を重んじる名家の教育が大きく影響を与えていることは想像に難くない。

 事実、劣勢人種とされていた民族に対しての迫害や差別を推奨してはいないし、彼らの文化や思想そのものを貶めることに関しては書簡で批判することがあった。

執筆作品

「インスマウスの影」

「クトゥルフの呼び声」

「ダンウィッチの怪」

「狂気の山脈にて」

など

 独特な文章から日本のファンからはその文章を真似てネタにされることもある。

 とはいえ、認知度の低い所謂「固い」単語を好んでいたことは確かだが、英語の場合修飾語を重ねることでリズムを作ったり情緒を演出することが可能だが、そのまま日本語にするとくどいという問題が大きく影響しているという指摘もある。

とある名状しがたいコピペ

546 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい 2005/04/03(日) 13:49:35 ID:A/xBSFBU0

文章をクトゥルフっぽくするテクニック

「恐るべき」「忌まわしき」「地獄の」「宇宙的な」「深淵の」「病的な」「嘲笑を」「冒涜的な」を混ぜる。

548 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい 2005/04/03(日) 13:53:56 ID:FXjwupGu0

>>546

私は慄然たる思いで机の引出しから突如現れたその異形の物体を凝視した。

それは大小の球体を組み合わせたとしか言い様の無い姿をしており、狂気じみた青色が純白の顔と腹部を縁取っていた。

這いずり回るような冒涜的な足音で私に近付くと、何とも名状し難き声で私と私の子孫のおぞましき未来を語るのであった。

また、それは時空を超越した底知れぬ漆黒の深淵に通じる袋状の器官を有しており、この世の物ならざる奇怪な装置を取り出しては、人々を混迷に陥れるのであった。

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