設計時
基準排水量:33800t
満載排水量:38500t
全長:215.8m
全幅:29m
武装:45口径41cm連装砲塔4基
50口径14cm単装砲20門
40口径7.6cm単装高角砲4門
53cm魚雷水上発射管4本
53cm魚雷水中発射管4本
装甲:水線部305mm
甲板70mm
主砲前盾305mm
主砲天蓋115mm
主砲前盾305mm
副砲廓152mm
速力:26.5ノット
乗員:1333名
概要
長門型戦艦の2番艦で、いわゆる「ビッグ7」の1隻。長門に次ぐ日本海軍の象徴として日本国民から親しまれたが、昭和18年6月に瀬戸内海で第3砲塔火薬庫爆発を起こし沈没した。
建造の経緯
長門型戦艦の2番艦として建造されるが、建造途中でワシントン海軍軍縮条約が発効。
これは、「建造途中であっても戦艦は廃艦にする」というもので、陸奥はこれにガッツリ引っかかっていた。
どうしても長門の僚艦が欲しい海軍は、条約をすり抜けるため、近所の病院から入院患者を運んできて医務室に入れ、「軍艦として機能している=廃艦の必要はない」という体裁を整えようとした。
当然、アメリカとイギリスがこんなセコいやり方で誤魔化されるわけもなく、「陸奥は条約違反だ、解体しろ」と抗議をしてきた。
日本は「すいません、陸奥だけは見逃して下さい何でもしますから!」と頭を下げ、結局、アメリカとイギリスに新しく戦艦の建造枠を広げるという形で決着した。
この時の拡張枠で作られたのがアメリカの「メリーランド」、「ウェストバージニア」、イギリスの「ネルソン」、「ロドネイ」であった。
ここに、既に完成していた「長門」と「コロラド」を足して、「ビッグ7」となる。
謎の爆沈
建造途中から不穏な雲行きであったが、ともあれ陸奥は完成し、世界最強戦艦の一角として国民に親しまれた。
しかし、1943年6月、陸奥は停泊していた柱島泊地で、謎の爆発事故を起こして沈没する。
乗員1474人のうち、生き残ったのはわずか353人だった。ちなみにこの爆発事故は内部からの人為的な爆発である可能性が高いとされるが、誰によって引き起こされたかは明らかではなく、いじめによる自殺という解釈もあるが推測の域を出ない。他に「劣化した弾薬の自然発火」「駆逐艦・潮が誤って落としたまま放置されていた機雷に触雷した」という説もある。
陸奥の爆沈は国民の動揺を招くと考えられたため極秘にされ、死亡した乗組員の家族には給与の支払いが続けられていた。生き残った乗組員は口封じのため真っ先に激戦地に送り込まれ、そのほとんどが戦死したという。
陸奥の沈没事故が公に知らされたのは戦後になってからだが、彼女がいつまでも帰港しないこともあって、大方の国民は陸奥に何かあったことは感づいていた。
陸奥鉄
現在の製鉄では破損の検出目的で鉄に放射性物質「コバルト60」を混入させる。戦前に作られ、海中にあったため核実験の影響を受けなかった「陸奥鉄」は微量放射線を測る測定器にシールドとして利用されている(現在は測定段階で補正をかける技術があり、陸奥鉄でなくともよい)。
核実験で沈んだ長門共々、放射線に縁ある姉妹と言えよう。