概要
大化4年(西暦648年)~天武天皇元年(西暦672年)7月23日
天智天皇の皇子で、御名を大友皇子と申し上げる。父帝のもとで太政大臣となられる。
天智天皇の崩御後、大海人皇子(後の天武天皇)との間に壬申の乱が起こり、大友皇子は戦いに敗れて自害された。『懐風藻』には、天智天皇9年(西暦670年)に皇太子に立つと記されている。
実際に即位した?
「天皇に即位した」という記載は当時の日本書紀に記載されておらず、水戸黄門こと徳川光圀が編纂させた「大日本史」のなかで「大友皇子即位説」をたてたのをきっかけとして、研究の結果から即位説を支える論点が出揃った。そして明治3年(西暦1870年)に明治天皇によって「弘文天皇」の諡号(しごう)が与えられて、「第39代天皇」として歴代の天皇の1人に加えられた。